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教えの庭から「あるもの探し」
教えの庭から「あるもの探し」

 

世の中が暮らしにくくなると耳にすることばです。「贅沢はやめよう」と聞こえることもありますし、「あるものを大切にしよう」という意味に聞こえることもあります。

私が暮らす地域は、過疎高齢化が進み、通院や買い物が困難になっています。また老後に経済的な不安を感じておられる方もおられます。この時期に「足るを知る」ということばが聞こえることには共感できます。

そんな暮らしの場で、「足るを知ろう」といっても、それは「我慢しよう」という呼びかけに聞こえてしまいます。

「足るを知る」ということばは、決して我慢を強制することばではありません。簡単にいえば自分の考え方や暮らしに気づき見直そうということばなのです。

私が見ているテレビ放送に『ポツンと一軒家』という番組があります。人里離れた山中の一軒家で暮らしておられる人を訪ねるという単純な企画の番組ですが、とても面白いのです。自分には耐えられそうにない暮らしが紹介されますが、その現状を楽しんでおられる住人の話に魅せられるのです。一言でいえば「足るを知る」暮らし。番組では4人のコメンテーターの感想があるのですが、全員が感動されています。

ただ漠然と「足るを知ろう」といっても、その考え方を身につけることは簡単ではありません。自分の暮らしの中で課題を見つけ、それを実行しながら身につけていくこと以外に近道はないと思います。

ご近所に自給自足を目指しておられる70歳過ぎたご夫婦がおられますが、このご夫婦の課題は「自給自足」。その暮らしの中で「足るを知る」楽しさを見つけておられます。

 

私は今、お寺の将来について課題をもって試行錯誤を続けています。その方法として「あるモノ探し」を続けています。以前、「ないモノ探しは簡単だが、あるモノ探しは難しい」という文章を読んだことがありました。そこに「5分間で、ないモノを書き出し、次の5分間であるモノ書き出してみましょう」というテストが書かれていました。さっそくそのテストをやりながら、「あるモノ探し」は「足るを知る」ことと同じだと気づきました。お寺には教えがあります。雨風をしのぐスペースもあります。水道、電気、ガス、電話、トイレや生活器具は揃っています。家族もいて、地域の人々もおられます。四季を楽しませてくれる花や鳥の声、その気になれば耕せる畑もあり、有形無形で「あるモノ」が見えてきます。そんな暮らしの中に、ふと、安らかな晩年とか浄土往生といった「ないモノ探し」をしていることはないかと思いました。親鸞さまのおことばに「地獄(じごく)は一定(いちじょう)すみかぞかし」とおっしゃるおことばがあります。このおことばは親鸞さまが「足るを知る」とおっしゃるおことばと理解しています。世の中の真実と自分の暮らしを見つめたとき、お世話になって暮らす晩年や死後のことに「ないモノ探し」は無用と読ませていただいています。あるモノを知って生きる大切さを教えていただくおことばと読ませていただいています。