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教えの庭から「お米の味」
教えの庭から「お米の味」

 

 昨年から企業の幹部研修をする機会をいただいています。以前からおつきあいがあった会社の社長から相談があって始めることになったお寺での一日研修会です。その社長は2代目になりますが、千葉県内に数店舗をもって自動車用品の販売をしているとても積極的な会社です。


 以前からお寺の将来を考えながら、現在の社会でお手伝い出来ることはないだろうかと思っていたところでしたから、さっそく引き受けることにしました。せっかくお寺を利用しようという申し出をいただいたのだから、この機会を大切にしようと考えました。


 考えた末、自分の人生を足もとから見直していただくお手伝いをしようと思いました。お見えになる人たちは40歳代の働き盛りで、仕事上でも家庭生活の上でも責任ある立場の方ばかりです。その方々が、お寺で数時間過ごし、自分の人生について何かを感じていただけたらとプログラムを練りました。


 さっそく役員、店長など幹部方が数名ずつお見えになり、丸一日お寺で過ごしていただくことになりました。


 まず本堂にお参りいただき、地獄の絵を見ていただきました。人生は終わってもいのちは続くのではないかと気づいてもらおうと思ったのです。次にお釈迦様のご生涯が画かれた絵を見ながら、仏教出現の原点をお話ししました。宗教の大切さを心に留めて欲しいと思ったのです。


 お昼になって、みなさんには炊きたてのご飯で握った「塩むすび」を召し上がっていただきました。横にはお汁と漬け物だけ。お米の味に気づいてもらいたいと思ったのです。多くの食べ物があふれている時代です。余分なものを省けば、本質の良さに気づけることを体験して欲しいと思ったのです。


 休憩時間になるとお寺の墓地まで散歩します。墓地に佇み、自分がお骨になって収められる日がくることを想像して欲しいと思ったのです。お墓は人生とその後という時間を俯瞰する場所でもあります。そして100年もしたら誰からも忘れられる存在であることに気づき、今をどう生きるか考えて欲しいと思ったからです。


 研修時間の中では、他人には隠しておきたい自分のいやらしさや弱さ、無知も語ります。お見えになる方々どなたも、他人に知られたくないものをお持ちです。それが周囲に語れないうちは、建前中心の人生を続けなければなりません。弱みは、恥ずかしいことでもなく出世の妨げでもありません。それは共感を生むタネになり、成長のバネになることに気づいて欲しいと思うからです。自分の本音を出して話し合うことが、直ちに目先の業績に結びつくかどうかわかりませんが、素直になることによって、以後の体験は確実に財産として蓄積されると思います。


 ながい一日が終わって、旬の地産食材を集めた手作りのおもてなしをします。馳走という見えないこころくばりの大切さを感じて欲しいと思っているのです。