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過疎四苦八苦
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「聞く」から「やる」へ

過疎四苦八苦

「聞く」から「やる」へ



宗教とのかかわり方を概観すると かかわる人が行う動作として「祈る」ことが一番多いと感じます。

次には「修行」でしょうか。そして最後のかかわり方として「聞く」ことがあると思います。

このようなかかわり方をすることによって その次にどのような行動が生まれるものか考えています。

たとえば「祈り」を終えたあと 何もしないでその結果を待つのか それとも何かの行動に導かれるのか。そんな疑問が生まれてきているのです。

瞑想という修行によって邪念が晴れ その後の行動にエネルギーが生まれることがあるのでしょうか。

また聴聞というかかわり方を続けていたら 自己の不実に気づき虚無感が募ることになるのでしょうか。

自分が暮らしている社会は どのようなかかわり方をしていても 災害や誘惑あるいは邪念がつきまとって離れません。

しつこく絡みつく社会の中で 「聞こえてくる真実」を聴いていたら その真実が自分の行動ににじみ出ると思っています。