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深い感覚の話

過疎四苦八苦

深い感覚の話



新聞の原稿を送ったとき 編集者から確認されたことばがあります。

新聞に載せることばなので 誰にでも理解できる表現が求められるために不可欠なプロセスです。

お寺にお参りしてお話しを聞いていると「仏さまの願いを味わう」とか「味わいを聞く」という表現があります。

そのときどのような原稿を書いたのか憶えませんが 「ご法義を味わっていただきます」というようなことばを送ったように思います。

さっそく編集者から確認されたことは 「お話しを味わう」ということばは理解しにくいので「お話しを理解する」ではいけないかということでした。

「味わう」と「理解」。

同じようですが同じではありません。

その違いをひとことで説明はしにくいのですが しいていえば「五感の深みで理解するのが味わい」であり 「頭で意味を解釈するのが理解」といえると思います。

肉体の意識感覚でとらえることができない真実からの声は 「声」とはいうものの 耳で聞いて理解するのではなく全身の感覚で受け止めて味わう。

そういう思いを大切にしたかったのです。