伝統を初めて疑った
きのう初めて一つの伝統を疑いました。
それが間違った考えであるかどうか その結論が出るのは50年先だとも思いました。
どのような伝統を疑ったかというと お寺にお参りすることは大切なことだという思い込みの伝統です。
お寺にお参りしてお話を聞くこと行動の是非ではありません。
そこで何が説かれ何を聞いておられたかという お話しの内容についての疑いです。
お寺では仏法を聞くことができるのですが その内容はほぼ伝統に従って説かれます。
それを聞き続けた結果は 何かの形で現在の暮らしに現れているはずなのです。
若者たちに頼られることもない僧侶やお寺。
家族葬の増加に見られる 縁起観の消滅。
どこか何かに 社会との乖離があるのではないかと疑いが芽生えたのです。