見えぬことが恐怖
それにしても新型コロナウイルスの発生と拡大は不気味です。
我が家でも連日のように 一度か二度は話題にしています。
恐怖の根本にあるのは 「見えない」ことではないかと思っています。
見えないものはウイルスと終息時期です。
あらためて人生の中の恐怖をかんがえてみると 明日死ぬかもわからないことに恐怖を訴える人はまれです。
日常の恐怖心は 発病の結果とか死に至るという想像が可能だから起こるものではないかと思います。
一方で死ぬことについては 想像がつかないのではないでしょうか。
病気の家族が目前にあっても 臨終の枕元に座っていても その病も死も自分のことではありません。
たとえ自分が死ぬことを自覚したとしても それを恐怖と感じておられることは少ないように見えます。
いまだかって臨終の枕元に呼ばれ 「これからどうなるのですか」と問われたことはありません。
あれこれ考えていると 恐怖は自分で理解することが可能な範囲の状況から発生するものに思えてきました。
地獄は理解を超えた状況なので 恐怖心が生まれないのでしょう。