仏典ー私釈
毎日聖典を読みます。
そしてお参りのときは その中に書かれていることを話しています。
そのとき 文字の意味の解説を中心にしていた時期がありましたが いまはそのような話し方は減っています。
意図的にそうしたわけではありませんが 私が受け取った内容をことばにして話すようになっています。聖典の文字やことばを 生活のことばで受け取って話しているのです。
たとえば 浄土真宗で大切にされている『正信偈』には 冒頭に「帰命」と「南無」という文字が書かれています。その文字を 日常で使っている「リスペクト」といって話します。
話す人をリスペクトしなければ 聞いても身につきません。家庭内で「あの先生はダメ先生だ」と親が話している先生のお話を 子どもがどのように聞くのか想像したらわかります。
聖典を書いて下さった人をリスペクトして読めば わずかながらでも自分に伝わりす。それはとても楽しいのです。
仏典を自分のレベルに合わせて読むことには問題もあるでしょうが 表面的な解説より 生活の中で受け取ったことばを話すことが伝わり易いと思っているのです。