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三江線がなくなる意味

過疎四苦八苦

三江線がなくなる意味


先日のお参り先は、かって三江線を利用されていた家族があられたお宅でした。

利用されていた70年以上も前の思い出話を聞きながら、三江線というローカル線のことを改めて考え直しました。

その方が、「川平駅から旧制中学校に通学していたのですが、自宅がある松川側からは渡し船で駅まで行かなければなりませんでした。船頭さんが急用でいないときは自分が川舟を操船して皆さんを渡してあげなければならないことがありました。船を川岸に着け、流されないように川岸に上げるのに時間がかかるので列車に遅れることになるのです。そのときは先に駅に行った人たちの誰かが運転手さんに理由を話し、途中で乗車できるように速度を緩めてもらい乗車していました。そんな出来事が何度かありました」と話されたのです。

当時の三江線は、定刻厳守に管理されず、人間の暮らしで管理されていた列車であったことに気づいたのです。

廃線を決める前に、駅まで行かなくても路線沿いで手を上げたらどこでも乗降車出来るという、「暮らしのレールウエイ」を試みる提案はなかったのだろうかと思いました。

『おおよその時刻表』という、暮らし方で編集する時刻表づくりが面倒くさかったのでしょうかねえ。