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プロの弊害

過疎四苦八苦

プロの弊害

その仕事のプロとかスペシャリストといわれることの弊害について考えています。

というのはここ数日の間に、法事の礼儀作法や仏教慣習について何度も質問を受け、お答えしながら、この答えで納得されるのだろうかと考える機会があったからです。

家内からその趣旨の指摘を何度か受けていたのですが、その場のことの注意として受け止め、「専門家とかプロ意識という偏見」を指摘されていることに気づかなかったのです。

プロであるとか専門家だと自負すること、そのこと自体が間違いというわけではありません。そうではなく、自分はプロとか専門家として現実を正確に見ていると思い込んでいたら、本質が見えにくくなるということなのです。

たとえば「法事を営みたい」と相談があったとき、法事の種類等を聞いて日時の設定のことだけをお答えしています。ときには「お布施はおいくらお包みしたらいいのでしょうか」というお尋ねもありますが、「お気持ちでお包みください。布施ですから」と建前のお答えをします。

よく考えてみると、それは専門家として原則を話しただけで、質問の答えになっていないのです。

法事が仏法に会う縁であるという専門家の解釈と、義務感やつきあいと解釈される方との間には大きなズレが見えます。

まず相談された当主が義務とか世間体、あるいは習慣で設けようとされる法事かどうかに気づくことがなければなりません。もしそうであると察知したら、その場を仏法にふれる場にすることを考え始め、素人の感覚になって目的にかなう法事のお手伝いをするのがプロではないかと思い直しているのです。