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肌で感じる

過疎四苦八苦

肌で感じる


「肌で感じる」ということばを聞くことが少なくなったように思うのですが気のせいでしょうか。

研修はエアコンの効いた部屋で、パワーポイントや資料を駆使して行われることが多く、現場研修も現場視察後に時間を割かれているように感じます。

その場の温度や匂い、あるいは空気の動きや音など、五感で感じることを肌で感じるといいます。頭で知識として理解するというより、全身で知識以外の何かを感じることをいったことばです。

たとえばお葬式の場で人生を感じることなどは、人生を肌で感じるといえる例だと思います。

「人生は必ず終るものだ」とか「死んでしまったらつまらない」という建前のことではありません。

その人との出会いによっていただいた思い出や、遺族が悲しまれている様子を見ながら、無意識のうちに何かを感じているのではないかと思うのです。それが人生を肌で感じることなのだと思っているのです。

間違いなく死の方に向かっている自分は、何をめざして生きているのかという自問が生まれるときだと思うのです。そのような問は、肌で感じるからこそ起こる問だと思います。