自己ベスト
平昌オリンピックが間もなく閉会になります。新しい競技への関心も生まれましたし、いろんな気づきや話題をいただきました。
「自己ベスト」とか「コーチの力」、あるいは「政治とスポーツ」といった大小様々に対する気づきや話題です。
そのひとつに自己ベストということばがあります。出場した選手が、オリンピックという大舞台で今までの記録を更新する出来事です。
他の選手と比べるのではなく、過去の自分の記録と比べて自分の努力から生まれた記録なのです。そんなことを思いながら、努力のためには明確な自己の記録をもつことの大切さを考えていました。
私はお寺の仕事をしているうちに、記録らしいものを意識することが次第に減ったように思います。
会社の勤めを辞めてしばらくは、年間の参拝者をカウントするなどして数字化できるものを記録していましたが、いつの間にか止めました。
数字を使って、数字化できないことの評価は難しいと感じたのです。さらにいえば、真実に気づく仏法に数字は必要がないのです。
「なぜ生まれてきたのですか」とか「仏法を聞けば人間はどうなりますか」という説明に数字は役に立たないのです。
というわけで、私がしいて数字で自己ベストを考えるとしたら、今日一日どれだけ罪や悪を作ったのだろうかと、気づいたことだけ指を折ることくらいしか出来ません。
でもよく考えてみたら、それは自己ワーストですね。