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過疎四苦八苦
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過疎四苦八苦

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観光事業が大きな変化をしています。修学旅行もそうですし、旅行会社が販売している企画の広告を見てもよくわかります。

とくに外国の旅行者の様子を見ているとその変化がよくわかります。その変化をどなたかがことばで説明しておられ、「ああそうだなあ」と納得しました。

今までの旅行目的の主流は、サイトシーイング。次にそれにドゥイングという体験が加った旅行がよろこばれるようになり、今はそれにビーイングという目的の旅行が増えてきているといわれるのです。

そのビーイングについては、過疎とお寺の将来を考えながら気づいていました。

そこに過疎という時代の流れが見える場所がある。その場所には目には見えないけれど、今ではなぜそれを造ったのかわかりにくくなった異物のようなお寺がある。

そのような環境に身を置いて、人は何を感じるのだろうと思っていたのです。「そこに我が身を置いて自己を習う」という仕掛けが出来るのではないかと考えているのです。

墓地を見ながら、いのちを考えることがあると思うのです。本堂に座りながら、なぜ生きているのだろうと考えることもあろうと思います。

そのガイド役をしてみようと思っているのです。