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自分と自己

過疎四苦八苦

自分と自己



一昔前さかんにいわれていたことのひとつに、「自分探し」ということばや行動がありました。時代の変遷の中で、アイデンティティーということが叫ばれていたときのことです。

自分のルーツを探す人々や、瞑想や座禅に熱中する人たちもいて、「自分は何者だろう」と自問することがありました。

「自分とは」と、自分自身を目の前に人形のように置こうとしても、それは見られている側の自分であって見ている自分は置かれていないのです。

というようなわけで、いつの間にか自分探しのブームは消えてしまいました。

ところが古来から今にいたるまで続いている似たようなことばがあります。それは「自己発見」あるいは「自己を習う」ということです。

自分と自己は同じようなことばですが、使われていることばの意味にはたいそうな違いがありそうです。

自己は、誰かに見通され、聞かされて気づく姿のことで変わり続ける存在のことです。「仏道とは自己を習うなり」という道元禅師のおことばのように、仏法を聞く場に座って気づくものだと思います。