この世は過疎で、あの世は過密
「寒さが厳しくて、お亡くなりになる人が多いですねえ。さぞお浄土は賑やかになったでしょう。あの世は過密状態ですかねえ」。何気ない日常会話のようにして、お浄土とこの世が続いているように話されたのです。
「そうでしょうねえ、お浄土は賑やかになっているでしょうねえ」と笑いながらお答えしました。私たちの周囲は過疎になりますが、そうかといってお浄土が過密になることはないようです。
お浄土の様子が書かれた経典に、この世のような面積を表す単位は見当たりません。お浄土は無辺で、いつでもあいさつできるところに誰かがいらっしゃるという世界です。
「お花」が咲いているのです。「鳥」が美しい声で鳴いているのです。きもちがいい雨の日もあり、澄んだ水をたたえる池もあります。
見ることが出来ないから信じにくいのですが、のどかさやみなぎるものを感じることが出来る空間なのです。
面積とか長さ、あるいは時間といった比較するための単位の表現はありません。つまり過疎とか過密、あるいは貧富や優劣などが存在せず、一人一人が縁によって満足する世界があの世というところでしょう。