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生きる意欲

過疎四苦八苦

生きる意欲

通夜のお参りから戻るのを待っていたかのように、訃報の電話をいただきました。

昨年の3月、にわかに奥さんに先立たれ一人暮らしをなさっていた高齢の男性がお亡くなりになったのです。奥さんとの別れがあまりにも突然だったことで、その無念さが薄らぐことがなかったようでした。

毎月奥さんのご命日にはお参りしていたのですが、「家の中の管理は、すべてアレにまかせていたので何がどこにあるのかさっぱりわからん」とか「しばらくの時間でも看病してやりたかった」とか、ことばの端々に後悔の念がにじみ出ていました。

さらにはお参りのたびに、「アレはお花が好きだった」「いちじくはアレが好きだったので」「スイカが好きで、・・・・・甘いものが好きだったので・・・・・」と毎月のお供えは奥さんの思い出とともに並べられていました。

昨年の秋からご命日のお参りが途絶えました。そして息子さんに、「早く母さんのところへ行きたい」といわれるようになられたのだそうです。

続けておられた食事づくりも途切れがちになり、「どこか自分が入れる介護施設を探してくれ」ともいわれ始めていたようです。そんな矢先に、「苦しいから救急車を呼んで欲しい」と緊急連絡がお別れの声だったそうでした。

死因を伺おうとしたとき、「親父は自死のようなものでした」と息子さんがいわれたのです。生きる意欲をなくし、はやくお母さんのところへ行きたいという思いがつのったことが原因だろうといわれたのです。

その故人のお気持ちは理解できたように思いましたが、なぜ生きる意欲が薄れたのか、どうしたらよかったのかと考えていますが答えが見つかりません。

その人にとって大切なものを失ったとき、あるいは失ったものがかけがえのないものだったと気づいたとき、それを乗り越えて生きる意欲とはなんだろうと考えているのです。