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参らせてもらいました

過疎四苦八苦

参らせてもらいました

お亡くなりなったというお報せのことばのあれこれについて考えています。

先日、「ばあさんが参らせてもらいました」という息子さんからのお報せを受けてから考えたことです。

「夫が亡くなりました」とか「家内が往生しました」とか、直接「死にました」といわないお報せをいただくことはしばしばあります。というより、「昨夜○○が死にました」という家族からのお報せのことばはないのです。

考えて見ると、「往生」とか「参る」という表現はお浄土に生まれるという仏教のことばで、お亡くなりになったお方が仏教徒であるか否かには無関係に用いられているようです。

家族にとって自分の身内との死別は、「死にました」という客観的な冷たい響きの表現は使いたくない気持ちがあろうと思います。

とはいっても、どのように表現したらいいのかわからないまま「参る」とか「往生」といわれるのではないかと思うのです。

しかし「参らせていただきました」といわれることばには、ほのぼのとした響きが感じられます。

自分の力でお浄土に参ったということでなく、自力で支えてきたいのちが尽きて、お浄土にお参りさせていただくことになりましたという、自力を尽くしたというニュアンスがあります。

何気なく耳にしていたことばづかいをあらためて考えながら思ったことです。