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過疎四苦八苦
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読まれていた心

過疎四苦八苦

読まれていた心

ほぼ一月半ごとに山陰中央新報に私の文章が掲載されます。「読者ふれあいページ」という大きなくくりのページに、「教えの庭から」という大きなスペースがあって、そこに掲載されるのです。

数人のお坊さんと牧師さんが担当されていて、それぞれのお方のお話しが読めるようになっています。

ずいぶん長い間書かせていただいているのですが、経典の解釈のようなお話しは極力避けて、お寺から見た周囲の出来事を教の問う内容を中心に書いていました。

ところが今年早々の記事は1月15日に掲載される予定になっていたのです。お寺では、その日から親鸞さまのご命日法座を開くことになっていました。

そんな日に重なりましたので、親鸞さまのお心をたずねながら暮らしている自分の気持ちを書きたくなったのです。

その記事を読んだお二人の方から、「今までの文章とは違っていましたね」という感想と、「ずいぶん歳をとられたなあ」という感想でした。

このような文章がいいとか悪いという評価でなく、今までの文章と違っていたという指摘でした。お二人とも私の文章を、今まで読み続けて下さっていたようです。

親鸞さまの歩かれた道の方向と、私も同じ方向を向いているような気がしてきたという、思い上がりのような文章を勇気を出して書いたのですが、歳を重ねたから書けたのかも知れません。

その心をしっかり読み取られていたようです。