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文章化出来ないもの

過疎四苦八苦

文章化出来ないもの


伝えたいことがあっても、それを文章や図によって伝えられるものと伝えられないものがあります。

例えばお花の生け方については、文章や図によって伝えにくいように思えますがビデオなどの器機を使うことによって伝えることが出来ます。

あるいは自転車の乗り方のようなことは、指導する人がいっしょにいて練習することによって伝授することが出来ます。

ところが仏神を信じるというような内面のことは、指導者による訓練やビデオ解説などによって伝えることはとても困難です。

このような精神内のことを伝える方法として、ほぼ唯一のように行われていることが宗教文化の行事です。雰囲気や伝統行事などによって、受け取る人の自覚を促すことで伝えてきたのだと思います。

仏教には、人がお亡くなりになった後、七日ごとにお参りするという行事があります。最近になってやっと、このお参りの目的がわかったように思いました。

私は浄土真宗という宗旨ですが、お参りのとき『仏説阿弥陀経』という経典をていねいに読むことにしています。

経典の中には、私たちが見ることが出来ないお浄土の様子が詳しく解説されています。その様子をお話しすることによって、死後の有無とか、お亡くなりになった人への執着を離れることが出来ると気づいたからです。

「仏さまはいらっしゃる」、「お浄土がある」。

一度お話しを聞いて腑に落ちることはないでしょうが、そのお話しを聞いたという体験は残ります。伝える場所、伝えるとき、そして伝える物語を大切にしようと思います。