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アーカイブ:過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

距離感



「距離」というものには かならず特定の単位があると思っていましたが そうでないこともあるようです。

たとえば「大局的に見る」というときの距離がそうではないかと思うのです。

「大局的」というとき それは平面上のことばかりではなく 時間的なことも含まれる立体的な距離感です。

また身近なところでは 肉親関係の距離感ということもあります。

他人同士なら明確に理解できる問題も 友人とか肉親 とくに親子関係の距離感となると理解が難しくなります。

「間合いを計る」ということばは この距離感の難しさをいっているのです。

具体的には 「お金を貸して欲しい」という申し出を受けたときなどに現れてくる距離感です。

この難しさは 感情という要素がからむから生まれるもので まずはその感情を整理しなければ計ることができません。

そのためには智慧を深くして 整理の基準になるキーワードを見つけることが大切です。



 

 

ボードゲーム



「ボードゲーム」という呼び名のゲームに関心をもち始めています。

いろんな人と一緒に遊ぼうと思っているのですが どのようなゲームがあるのか知らないのです。

古いものでは「すごろく」とか「福笑い」。新しいものでは「人生ゲーム」とか「トランプ」くらいしか知らなかったのです。

関心をもち始め 機会あるたびに話を聞いてみると 「はあーというゲーム」とか「カタン」とかいろいろなゲームがあるらしいのです。

高齢者が遊べて面白いゲームを見つけることと 自分の死に方を考えるゲームを探すためにしばらくボードゲームとおつきあいをしようと思っています。

というわけで まず「カタン」というゲームと「ザ・マインド」というゲームを注文してみました。

変わり映えがしない雰囲気の集まりが 少し変わるかもわかりません。

 

 

コブサラダ



お客さんをおもてなしする料理で 「コブサラダ」を準備することになりました。

10年ほど前には よく食べていたお気に入りのサラダでした。

いまは野菜がとてもおいしい季節なので それを食べていただこうと考えたのです。

スタッフのみなさんは どうやら初めて耳にする料理だったようです。

なんとかイメージを描いていただこうと食材を伝え 味を想像していただきました。

チーズとかベーコンに鶏肉 アボガドやセロリなどは思い出したのですが クルトンがなかなか頭に浮かびませんでした。

このサラダの始まりは コブさんという男性がご自宅の冷蔵庫の中にあった食材を用いてつくられたものだそうです。

我が家の冷蔵庫の食材でサラダをつくったら どんな「テラサラダ」ができるだろうか想像して笑いました。



 

 

法衣の力



馬子にも衣裳という話と似ていますが 法衣には力があるように感じます。

昨日 家内が法衣姿で高齢者施設に行ったそうです。

その施設には 毎日のように行って普段着でお参りしていました。

初めて見せる法衣姿を見て 施設の利用者や職員さんが今までとは違う様子だったと話してくれました。

中でも 若年性認知症になった人が いつもと違いとてもうれしそうに親しく話しかけてくださったようです。

法衣姿を見て 「自分を理解してくれる人」というような 安心感が生まれたのだろうかといいました。

どう受け取られたのか 気持ちの中はわかりませんが どうやら法衣には力があるようです。


 

 

かき餅



お供えしていたお餅を切って 「かき餅」をつくりました。

お餅を薄く切り 網棚に並べ寒の風に当てて乾燥させます。

乾燥がすすむとひとりでに割れて 網の目から床に落ちます。

夜中にコトッと小さな音が聞こえ始めると 乾燥してきている証拠です。

それを保存しておき 油で揚げたものに塩味をつけ 行事のときなどのおやつにします。

お店に行けば おいしいお菓子がたくさん手に入る現代ですが 素朴な手作りのかき餅は新鮮でよろこばれます。

かき餅は お寺ならではのおやつです。


 

 

味覚



お野菜が とてもおいしいと思います。

気候のためなのか それとも私の味覚が変化したのかそれとも両方なのかわかりません。

とにかく どんなお野菜をいただいてもおいしいと感じます。

16日までの行事の期間中 毎食精進料理をいただきました。

主菜は「けんちん」というお野菜とお豆腐を煮込んだお汁でしたが とてもおいしくいただいたのです。

今日もいただく予定ですが なんども温め直すうちにしっかり味がしみて それぞれのお野菜の味の特徴だけが残ります。

この味がおいしいと感じるのは 間違いなく人生のキャリアによるものと思えてきました。


 

 

「・・・、ござりまする」



伝統行事の「ご正忌報恩講」が終りました。

準備をしながら 先日のお正月のテレビ 「市川海老蔵に、ござりまする」という放送を思い出していました。

伝統を守る厳しさと あたらしい芸に挑戦する厳しさです。

先代住職から受け継いだ伝統の飾り方はすでに見えなくなっています。

伝統の式次第もとっくに消えています。伝統を守れなかったのです。

私の都合とか 地域の人の高齢化や 次世代の人たちに仏教へ近づいてもらおうとして簡素化したためです。

はたしてそれが将来に対していいことであったのか あるいは仏教衰退に拍車をかけることになったのか。

10年 20年先の結果はわかりませんが 仏教に近づいてみたいと思う人が一人現れてくださることを期待して改革には挑戦し続けます。


 

 

夜もなし朝もなし



夜もなし 朝もなし。

お寺の行事の話です。

6~70年前までは 1月15日の夜は「大逮夜」といって ほぼ満堂でにぎやかに法座が開かれていました。

10年前までは 10人足らずのお参りながら寒い法座は続きました。

それ以後 ポツポツとお参りが減り ついに昨年から「大逮夜」の法座を中止することになりました。

16日の朝の法座は 20年前くらい前からどなたのお参りもなくなりました。

その理由はひとことでいえますが それのせいにして負けてしまったようになりますからいいません。

というわけですが 回数は減っても内容を新しくして「身心にうれしい法座」を目指します。


 

 

シイタケ



長期の不在を考えて 出かける前にシイタケを採っておきました。

帰ったらすぐ残しておいたものを見に出ようと思っていながら忘れていました。

昨日 家内が大きくなったシイタケを2本見せながら 「こんな大きなものがビッシリ生えているよ」といいました。

「そっれって 私に採りに行けということ?」とたずねたら そうだというのです。

さっそく出かけて 傷みが出たものを捨てながら6~70本くらい採りました。

ちょうどお見えになっておられたお方にもお分けして 喜んでもらうことができました。

我が家では夕食に2枚焼いて お醤油でいただきました。

肉厚の歯応えと 上質なクリームチーズのような味を楽しみました。

植物の成長を管理する習慣が十分身についていないので 気をつけなければと思いました。

 

 

ぜんざい



昨日からお寺の行事が続きます。

浄土真宗の開祖親鸞聖人のご命日に合わせて 全国の所属寺院で営まれる「ご正忌法要」です。

本山である西本願寺では 9日から16日まで営まれますが 地方の寺院では1日~3日の法要です。

私が預かっているお寺はそれぞれ1日ずつ。自分のお寺では2日で 4日間の法要になります。

お参りされる人は老若男女といいたいのですが ほぼ老男女です。

この法座では お正月にお供えしていたお餅を入れた「ぜんざい」がふるまわれます。

この時を除くと ぜんざいをいただく機会はめったにないのでうれしいことです。

それぞれのお寺の甘さがあり お話を聞く仏法味と合わせ ほっこりする期間です。