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アーカイブ:2022年
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4月

過疎四苦八苦

今日と明日はお寺ご飯



「お寺ご飯」のことを もう一度お話しします。

今日明日はお寺の行事で お寺ご飯の接待があります。

今日は9時からスタッフが集まって掃除と準備をします。いつものように本堂の掃除や荘厳 そしてお寺ご飯の準備です。

11時から始まり 12時にお寺ご飯を接待し14時に終了。

「お寺ご飯」は精進料理ではありません。

精進料理の由来を学んだことはありませんが お寺にこもって修行するお坊さんのたちの食事から始まったと推測しています。

それに対してお寺ご飯は 過疎高齢化地域の料理。

偏りがちな栄養を補い そして食べる楽しさを感じていただく一汁一菜の食事です。

地域のお寺の姿と考え変化します。


 

 

機関誌の変化



お寺の本部から届く機関誌『宗報』が変わりました。

装丁が変わったのではなく 紙質が変わっていました。

あるいは編集方針も変わるのかと感じる点もありますが 次号の様子を見ないと判断できません。

紙質が変わり厚みもあってページがめくりやすくなりました。インクも変わったのかと嗅いでみましたがわかりませんでした。

些細なことですが編集者のご苦労を感じます。「読みやすい本」にしようと考え続けている姿勢を感じたのです。

辞書編集者の奮闘を書いた『舟を編む』という小説を読んだことがあります。

またサンキュータツオさんの話も聞いたことがあります。

その内容を思い出して 見えないところで頑張っている人々の姿を想像して機関誌をめくりました。


 

 

出会いを大切にする



加齢とともに 新しい出会いを求める行動力が低下することを実感しています。

それは行動範囲が狭くなるという現実に顕著に感じています 。

その現象を無意識で受け入れることが老化のように思えるので それはしたくありません。

その代わり思いついたことは 一度の出会いを大切にするという習慣づけです。

一度の出会いに時間を惜しまないこと。

そしてその出会いの時間が 相手の人のこころにぬくもりが伝わるようにしたいと思うようになっています。

 

 

何がよろこんでいただけるか



光親会というお寺のお手伝いをしてくださる壮年求道者の会があります。

その会の総会が開かれる日の前 この会が楽しくなるにはどうしたらいいのか思案していました。

教会には聖歌隊のような会があり 神社には神楽団や巫女舞のグループがあって活発に活動が行われています。

お寺には「おとき」という精進料理作りなどのメンバーがありますが 活動回数は年に1度か2度。

かってオリジナルな仏教芝居を上演したことがありましたが この時は充実した活動になっていました。

どのようなグループも求道や奉仕を目的にしていて その活動におもしろさとよろこびを感じる人達によって維持されます。

全く発想を変え 一味違う事業を企画し 関わる楽しみを感じることができる会であれば 新しい人にも参加していただけるのではないかと思案を続けます。


 

 

お寺の鐘



お寺に大きな鐘があることはご存じと思います。

その鐘を撞かれた経験がある人もいらっしゃると思います。

機会があれば一度見られたらいいと思うのですが 鐘には文字が鋳込んであります。

撞く側の正面に「南無阿弥陀仏」。その裏側にも文字が書かれています。

「うちのお寺の鐘には 正覚大音 廣流十方と書いてある」というお方の話を聞いたので あらためてお参り先のお寺の鐘を見ました。

そこには「煩悩にまなこさえられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねに我が身を照らすなり」と彫られていました。

また「天下和順 日月清明」など そのときの住職の思いで聖典の文字が選ばれているようです。

私のお寺の鐘は昭和23年に迎えられていますが 正面も裏面も「南無阿弥陀仏」でした。 

    

 

他店見学のこと



刺激をいただき変化の参考にするために 「他店見学」をすることは少なからず効果があります。

かって私自身も何度も体験して刺激をいただき 案内した人々の変化を促しました。

問題意識を持ち変化のヒントを求めていると 目に留まることは必ずあるものです。

「百聞は一見に如かず」といいますが それはテーマをもってのこと。

それでも見えることは現象だけ。それを選んだ動機や実現するまでの過程など 判断の基準になっていることは必ずあるのですがそれは見えません。

その判断基準こそが見学してしてほしいところなので 複数の人で見学し意見交換することが大切になります。

 

 

故人の誕生記念日



今日は親鸞さまのお誕生を記念して 残してくださった教えをお聞きします。

自分たちにとって大切なお方のお誕生日を記念日とするのは 教祖とか宗祖に限ったことではありません。

建国の父といわれるMさんKさんなどの誕生日も 盛大にお祝いの行事が開かれます。

宗教教団にとって宗祖の誕生日とかご命日は 布教のチャンスになっています。

親の命日には法事をする人はおられますが 誕生日を記念しての法事は聞いたことがありません。

それは宗祖の誕生があったから 後に生まれた私たちがめざめの教えに出会うことがができるようになったからです。

他力本願の教えを確立された親鸞さま。妻帯してお子さまをもうけ 草庵や市中で求道と著述をなさった親鸞さま。

誕生記念の行事によって とかく神格化されがちな「宗祖」を 人間としての側面から想像させていただく楽しみの機会です。


 

 

初体験の美容院



昨日 家人のお供で美容院に行きました。

用事は1時間もかからないというので待つことにしました。

最初は車中で本を読むつもりでしたが 「待合室で待ったら?」と勧められ 生まれて初めて美容院に入店することに。

これといって特別な装飾はなくても 店内はやわらかい雰囲気。

私には場違いの雰囲気でしたが いろいろ勉強することがありました。

その一つが文字盤が逆になった掛け時計。

お客さまが 鏡に映った自分を見ながら時刻が見えるようにしてあるのです。

親しくしている美容師さんなので いろいろお話を聞かせていただき 退屈しない待ち時間を過ごしました。


 

 

下駄屋さんからDMが来た



ならの下駄屋さんからダイレクトメールが届きました。「えっ?下駄屋さんが?」と驚きました。

さっそく封を開けて中を見ました。

タネをあかすと 下駄の売り込みではなく草履の紹介で 納得。

草履販売にここまで経費をかけるのかと驚いたのですが 商品説明と価格を見てもう一度納得。

そこで目にした価格は 最低で8,800円 最高で22,000円。

企業の紹介資料など一切なくて 商品の写真と価格だけの内容。

いままで購入している白い鼻緒の雪駄が 3,000円から4,000円ですからずいぶん高価なものです。

詳しく商品説明を読むと 機能やデザインには相応の工夫がしてあります。

お坊さんにとって雪駄は使い捨て感覚の道具ですが スポーツシューズの高機能化と同じようになるのかと 興味が湧くDMでした。


 

 

『妻がだんだん好きになる』



『妻がだんだん好きになる』という本を家人が見つけました。

さっそく入手して読み終え 私に回してきました。

題名に惹かれ 拾い読みをしながら「うん そうだな」と共感しています。

70歳を過ぎて手をつないで街を歩く話には素晴らしいと思いました。

というのは 私たちもいつの間にか手をつないで歩けるようになっています。

当初はテレも恥ずかしさも感じましたが 今はありません。

「手をつなぐことで心が繋がる」という記述がありますが それは実感できます。

妻が好きになれば 妻のいいところが見えるようになること そしてそれを伝えることができるようになることといわれていますが これは間違いありません。