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アーカイブ:2022年
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3月

過疎四苦八苦

長寿の因と縁



「卯の毛羊の毛の先にいる塵ばかりも つくる罪の宿業にあらずということなしとしるべし」。

これは歎異抄第13章のことば。

このことばによって 目の前に見えている現象から人生が推測できることを体験しました。

106歳でお亡くなりになったお方の長寿とご一生を思っていたときです。

そのお方は眼鏡をお使いになっていませんでした。耳が不自由とも思えませんでした。

長寿である原因は決して単純なものではありませんが 健康管理に気をつけられていたことはまず大きな原因です。さらにその背景も無限にあります。

その一つとして考えられることに ストレスが少なかったことがあります。

この方の暮らしぶりから おまかせして生きる姿を直感的に想像したのです。

お寺参りを楽しみにされるお方は ストレスレスと無関係ではないと思っているからです。


 

 

花見



陽気に誘われて桜が満開に近づいています。

我が家のソメイヨシノもすでに7分咲き。夕桜は満開になるのではないかと予想しています。

駐車場を囲んで8本あるのですが なぜか淋しい気がします。

花を愛でるには 位置とか距離 あるいはスタイルもあるのではないかと感じます。

そのスタイルがまだ見つかっていないのです。

ライトアップをしてみる・・・。駐車場の真ん中に椅子を置く・・・。花が咲いているプランターを並べる・・・。

花を楽しむ時間は短いのですが 何かやってみようかと考えています。

とはいうものの 今からでは時間がない。

「花のいのちは短くて・・・」という 林芙美子さんの名言が響きます。


 

 

満106歳



大正5年3月20日生まれ。

今夜 満106歳の人生をご自宅で閉じられたお方の通夜をお勤めいたします。

40数年間のおつきあいでした。その間のお姿や暮らしの一瞬を見て 長い一生のことをあれこれ想像します。

でもそれは 両手で大海の水を掬って大海を語るようなことです。

とかく晩年のお姿に思いが偏りますが それは人生の一瞬に過ぎません。

あれこれ思いながら その思いが行き着いた先は 「人間は支えられ生かされている」ということであり「一瞬の言動に永遠がこもっている」ことでした。

そして その営みを衆目に見せ 尊いものを伝えてくださった人生であったということでした。

今夜は どこに向かって生きるのか その向かう先から気づかせていただいていることを思う機会をいただきました。

南無。


 

 

「愛」について



「愛」ということばを可能な限り使わないようにしています。

「あなたを愛しています」とか「愛があれば苦難も超えられる」ということばを聞くと 「本当に?」と違和感が生まれるのです。

人前で軽やかに語られると 「いつまで続くかな?」とか「やがてウソになるよ」と冷めてしまうのです。

愛に深浅があるとは思えませんが 世間で氾濫しているように聞こえてくる「愛」ということばは なにかしらはかないのです。

あぶくのように消えるように感じるのです。

『聖書』や教会でのお説教のシーンでも 愛ということばはたくさん使われますが そこで使わていれる愛の本義は違うと感じています。

そんなことを考えていたら 宗教は愛の真偽について教えているのではないかと思うようになりました。

そして宗教は 真実の愛にめざめて生きなさいと教えていると思うようになりました。


 

 

吾以外皆師



大きな流木を5本いただいてきました。ほかに小さなものを4本。

さっそく2本に塗料を塗って庭の法面に置いてみました。

砂浜で間近に見ていたときは大きく感じていたものですが 芽吹き始めた草の中に置いてみると全く小さいのです。

自然界の中で行っている人間の営みなんて ちっぽけなものだと教わったように思いました。

小さな流木は 塗装して玄関の飾りにします。

軽トラック一台で一個づつ運んだ大きなものは 天候を見ながら掃除と塗装。

重機を使いながら設置するのですが 自然にさからわない置き方について思いを巡らせてみます。

こざかしさやみにくい心をさらすことになるでしょうが 楽しみです。


 

 

今夜は地域の会議



年2回 地域のことを相談する会議があります。

今晩の会議では年間行事や予算・決算などを決めます。

過疎で高齢化が進んでいる地域なので 夜間の会議には出席できない人が増えています。

安否のことや生活の情報が減って 過疎が孤立をつくることがよくわかります。

自治体としての機能が発揮できなくなると 統合も始まり関係は希薄になります。

このような地域の会合に参加していると お寺の在り方に思いが向きます。

お寺は地域の中で創設され存続してきたのですが 過疎によって一軒の住宅と同じよう消滅します。

それが仏法で説く「諸法無我」の現実であり 「涅槃寂静」という未来への希望です。


 

 

「お」料理



土井善晴さんの特集 『別冊太陽』を買った。

これも私の追っかけの一つ。

いつものことながら「料理」を語られるとき かならず「お料理」と発言される。そのことば遣いがなんとも心地よい。

そのお料理について 本を読みながらあらためて気づいたことがある。

我が家の料理はすべて家人が引き受けてくれている。

その料理について 毎日のことながら誠実に向き合ってくれていることに気づく。

手元にある食材や調理時間。家族の体調や食事の変化。様々なことを一瞬に考えて料理を決定してくれている。

調理が始まると 切り方とか調理方法など瞬時に決めていく。

土井さんはその営みを 自然界のいのちを人間のいのちに取り込ませていただく一大事業だといわれる。

まったくその通りだ。感謝しなければ・・・。


 

 

流木を発見!



流木が漂着しそうな海岸を通るたびに気をつけていました。

今年になって 近くの海岸の掃除が行われていたことを思い出し 出かけてみました。

なんとそこに流木が集められているのを発見したのです。

さっそく地元のセンター長に分けていただけないかと申し出たら これは県の管理物という話。

そして「たずねてあげましょう」といって 許可をもらっていただきました。

台風などによって根こそぎ倒された木々が 川の流れと海の波にもまれて漂着したものです。

海岸に打ち寄せられたものは再び海には戻りません。

砂に埋まりかけている木々を重機によって掘り出し集めるたものですが その後処理も大変です。

この流木が悠久の時を経て土に返るしばらくの間 アートとして楽しませていただこうと思っています。


 

 

法座での質問タイム



ご法話を聴聞した後 質疑応答の時間を設けています。

先日のお彼岸法座のときは5人から質問が出ました。

法座の雰囲気を感じていただきたいと思って 質問内容を紹介してみましょう。

まず口火は住職からです。「導師様のお寺では果樹を植えておられるようですが その目的は何でしょうか」。

次に老婦人から「お話しの中で紹介された 最近できたという美味しいパンさんの名前と場所を教えてください」。

「お寺の仕事に行ったときのケガが原因でお亡くなりになった息子さんのご縁で 聞法者になられたお母さんとの話を紙芝居にして紹介されませんか」という提案とお尋ねは60代男性。

「仏法が心に刺さるためには どのような生活を心がけたらいいのでしょうか」という ご婦人のお尋ね。

最後に「聞法をすすめるため住職さんが声をかけ続けられたというお話のように 現代のお坊さんも積極的に声掛けして誘ってもらいたい」という男性の要望。

法座の後の質問タイムが 少しづつ馴染んできているようでうれしく思っています。


 

 

足立美術館のこと



お客さんをご案内して足立美術館に行きました。

どのように権威がある雑誌かわかりませんが アメリカの専門誌が選んだ日本庭園のトップとして19年連続してNO1と評価されたお庭があります。

お庭のスケールといい手入れといい 評価は間違っていないと思える素晴らしさです。

このお庭だけでなく 横山大観の絵は圧巻です。

400点近くあるというコレクションの中から 逐次展示されているといわれいつ行っても魅了されます。

正直なところ 横山大観の絵にはなじみにくいところがありました。

ところが今回は時間をかけ ゆっくり絵と紹介文に向き合いました。作者が語っておられる作品の前のことばを読みながら 次第に引き込まれていったのは不思議でした。

何よりも独自の画風に挑戦し続け ご自身の作風を築き上げられた姿勢に共感したのです。

その人が語らなければ人物は出てこない」という 司馬遼太郎さんのことばを思い出しました。