事件があった共通テストからお受験シーズンが始まっています。
受験生本人はもちろんですが それより保護者の方がピリピリとかそわそわしていることも多そうです。
我が家も孫二人が受験生。内心はどうかわかりませんが本人には落ち着きを感じます。
今までやて来たことは本人にはわかっているので あとはライバル次第と割り切るからでしょうか。
保護者には 本人の内心にある受験準備の程度はわかりません。そのうえ費用などを考えると成功への期待は当然でしょう。
さらに万一不首尾だったときの失意への心配もあり 合否の事実だけでは終わりません。
いろいろな人生を見てしまった大人は お受験という行事が必ずしも人生の分岐点ではないことを知っています。
鍛錬期間の通過点の一つであり 自立に必要な脱皮時期の一つともいえます。
大人にとっては 「ゆったりと そしてあたたかく」見守りの季節です。
ホームページを変えようと考えていると 予想していたことが起こり始めました。
自分の生活目標の発見です。
ホームページの本来の目的は 自社とか自分を紹介して評価してもらうことです。つまり道具としての役目です。
道具の使い勝手が不具合になれば 修理したり取り替えればいいのですが 私が役目にしようと考えていることは少し違います。
ホームページの力を借りて自分を変えようと思っているのです。
いまは設計段階なのですが ホームページの前に座ると 自然にその目標に向かえるようにしたいのです。
別ないい方をしたら「ライフ&ワーク」といいます。
生きざまの表示が伝道に出来ないかと思案しているのです。
仏法はことばで伝わると思っていました。参拝者を増やすことを考えてきました。経済的なお寺の維持存続を考えてきました。求道者であるより聖職者振舞い。思いを重ねるより対峙する癖。名声を惜しみ自分を隠す・・・。
このようなライフスタイルに光が当たって にじみ出ることばを紹介する設計ポリシーです。
隈研吾先生なら「負ける設計」。私のは「丸裸になる設計」ともいえるでしょうか。
本日午後1時 お隣の市に道の駅が誕生します。
この道の駅が誕生することに 二つの関心があります。
ひとつは我が家のそばにある道の駅にどのような影響が出るか。
ふたつ目は 高速道が全通したとき 途中下車させることが出来るかということです。
道の駅の役割は トイレや給水などの休憩と地域物産の販売です。
有料道路にあるサービスエリアと違い駅間の間隔が狭く 無料区間の通行客を立ち寄らせるためには相当な努力が必要です。
この駅を地域住民のための商業施設で終わることなく ビジネス創業の場にする方針で運営されるかどうか。
この施設開設をきっかけに 地域から何かが出現することを楽しみにしています。
ホームページの設計を考えています。
その決め手になったのは ブログが高齢者にとっては格好の遊び道具にもなると気づいたことです。
何も高齢者に限ったことではありませんが 文章を書くことでしっかり頭を使います。
毎日の話題を幅広く見つけるために 刺激も必要になり退屈もしません。
10年くらい書き続けながら 自分は「ブログ」を書くことが嫌いではないことが薄々わかっていました。
またそれが一人遊びのようなもので 目的にこれというものは何もないこともわかりました。
新しく設計をする機会に お坊さん人生の整理をすることも「あり」だと思ったのです。
宗教に関心をもっている人というか かかわりが深い人にはいろいろな立場があります。
さらにその立場にも幅があるので 単純に呼び分けることは出来ないのですがあえて3分類してみます。
なぜそんなことを思ったのかについてお話しします。
きっかけは お坊さんに分類されているはずの自分の役目を考えたことにあります。
私が自分の役目として自覚していることは伝道。
「布教」「宣教」「伝道」という用語は同じ意味でしょうが ニュアンスの違いを感じています。
伝道とか伝道師ということばには 生活全体で道を伝えるという匂いがするのです。
そう考え始めたら 見せたくない聖域があってはなりません。自分がつくろっている上辺の生き方も捨てなければなりません。
そんな日常生活を続けながらことばで道を伝える。
そんなお坊さんにはなれそうに思えるのですが これは「愚」になることであり 真実と煩悩のバトルです。
家人は玄関に活ける花を探していました。
「お花は何にしよう」と思案する家人の話を聞きながら 私の頭の中では「白梅の枝」をイメージしていました。
数日前から我が家の白梅の蕾の開き具合に注意していましたが もう少し時間がかかりそうに思えました。
家人は お店をのぞいて白梅と紅梅を買ってきました。
すると枝を持ち帰るのを待っていたかのように 「今から蝋梅を持って行きます」という知人からの電話。
構想を変え さっそくろうばいを芯にして活けることに。
赤白黄色・・・。どの花もいいのですが 匂いは黄色が一番。
この季節ならではのお花と匂いで 訪問くださる人に 一瞬のやすらぎを感じていただけたら喜びです。
おもてなしの献立を立てる日。
基本にすることは季節のもの 地域のものを使ったおもてなしです。
地産地消ともいいますが 別なことばには「身土不二」。健康な身体は 地域の産物と深く関係しているという四文字熟語です。
少し古いことばで 今ではピンときませんが大切なことばだと思います。
あれこれと話し合って 私がこのたびのおすすめしたいと思ったのは大根。
大根を出汁だけで炊いた ごくシンプルな料理。甘くなった冬の大根を味わう最高の料理(?)と思います。
試食してあつあつの大根に息を吹きかけながら口に入れたとき 「家庭」を感じました。
お寺の行事を中止することにしました。「護持会」という門徒さんで構成している会の総会です。
ウイルスの感染状況を共有して判断しました。
開催の是非を相談したときの最初の発言は 「自分が参加する会合も中止になったから」ということでした。
発言者にはその会合の規模や様子はわかっているのですが 他の人にはわかりません。
大人数の会合が中止になったのか 少人数の集まりであるのかわからないのです。
いずれにせよそのお方にとっては状況判断の基準になるもだったようです。
人にはそれぞれの判断の基準があり それらを共有できたとき 全体の判断になるという事例でした。
異文化に触れることを目的に社員研修をしている企業があります。
お話を聞いた当初は その真の目的が理解できませんでした。
その後研修参加者のレポートを読んでいるうちに企業が考えていることがわかりました。
関東にある企業が研修先に選んでいるのは 関西にある異業種企業の見学と体験。
関東と関西では道を歩いていると ことばや店構えなどから文化の違いを肌で感じることが出来ます。
関西にあるお店は 当然そこで暮らす人々に合わせた活動をしています。
その活動の中にある共通点が文化なのです。
大きくは国ごとに文化があり 地方ごとにも年代上にも文化があります。
そことに気づくことによって 自分の思考視野を広くすることが出来るという研修なのです。
いろいろな事件が起きています。いろいろな心配事が増えています。
「いろいろ」といいますがそれは目に触れた報道であり 砂漠の砂の一つのような数に過ぎません。
何一つ同じ内容はなくて それを何とかしようとする行動も同じようにあるはずです。
そんなことを思っていると 「私は何をしているのだろう」と自分の生活に思いを向けることになります。
何かのお役に立つことをしているのだろうか。このままでいいのかという 自責の気持ちが湧いてきます。
そして巡り巡って行き着く思いは 「仏法を聞きながら暮らすことしかできない」という思いです。
いただいていた贈り物に思いを馳せ 気づきが出来るように育ててもらった姿をお見せすること。
ときどき生まれるそんな思いを大切に暮らそうと思うのです。