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アーカイブ:2021年
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10月

過疎四苦八苦

面白くない選挙期間が終りました



昔の選挙期間はもう少し面白かったと思うのですが違いますかねえ。

何が違うのだろうと考えてみたら 立候補者の数が少ないのです。

ユニークな政党もありますが 与党と反与党の2極化になって候補者が絞られているからでしょう。

ポスターを張るボードは 立候補者の顔写真よりも茶色のスペースが広く殺風景です。

個性的な主張をする立候補者が減り 主張が単純になっていることも原因。

「一人くらいはこういう馬鹿が いなきゃ世間の~目はさめぬ~」という歌を懐かしく思います。

選挙区が広くなり 過疎地には選挙カーが来なくなったのも原因。

期間中 我が家で選挙についての話題が出ることはありませんでした。


 

 

60歳すぎてから習い事を始めた人



今日お葬式をお勤めする故人は満98歳。

そのお方は 60歳を過ぎてから民謡「安来節」の稽古を始め 師範の免許までいただいておられました。

それまでは懸命に働き 楽しみといえばお寺参りだけと思っていました。

何がきっかけになったのか聞きそこないましたが 始められたのは60歳過ぎてから。稽古は熱心だったようです。

何事も始める年齢に早い遅いはありません。とはいうものの ためらいはあったはずです。

「上手になるだろうか」「続けられるだろうか」 あるいは「稽古仲間に笑われはしないだろうか」といった不安です。

そんな不安を簡単に断ち切られたように感じたのです。

そこには 98年という年月を生き抜く秘訣が潜んでいるように思えます。

ためらいは心の患いです。

世間の目 他者の言葉に惑わされない「自分の気持ちに素直に生きる」大切さを教わったお方のお別れの日です。


 

 

お墓の片付け



お墓の片付けのお手伝いをすることになりました。

昨日 役所から依頼を受けて高速道の取り付け工事をする人が訪ねてこられました。

道路工事の予定地にあるお墓を移動する前のお参りについて 打ち合わせをしたいという要件でした。

4カ所の墓地の確認と 準備する道具についての打ち合わせをしたのです。

打ち合わせが終ってからが私の出番。

業者の人に「どんな思いで お墓を片付ける仕事をしていますか?」と質問から始めました。

「たたりがないように」という思いもあるでしょう。「宗教者に任せたらいい」という無責任な気持ちもあるでしょう。

そのお墓がどのような経過で どなたによって埋葬されたのか もはや誰にもかわかりません。

わかることは 今の暮らしの都合によって掘り起こしたり破壊しようとしていることです。

「そのときだけでも 埋葬された方々の人生を想像しませんか」。「そうする時間をいただいたと受け止め これからの人生を考える日にしませんか」と 非日常の必要があることを一言。


 

 

プロ野球の優勝チームが決まりました



プロ野球の優勝チームが決まり 順位も決まりました。両リーグとも昨年の最下位チームが優勝しました。

私にとっては 一年の間に起こることを予測することは至難であるという事実を知るときでもあります。

シーズン初めに 専門家の解説者は優勝チームなどを予想されます。

選手の様子をしっかり観察しながら予想されるのですが ほぼ当っていません。

理由は簡単です。諸法無我だからです。

予想には 去年の成績とか予想者の好みがあり それが土台になっています。

新人が活躍したり 全く新しい作戦が出現すると 対戦するチーム全体の歯車が狂いだします。

この事実は 人生やビジネスにも例外ではないのです。だから仏法は真実の教えなのです。

我がジャイアンツには優勝してほしかったのですが残念でした。


 

 

無知



棕梠竹がはびこりましたので株分けを思い立ちました。

我が家の庭は 竹が成長する条件がいいのか新芽がよく出ます。

しかしこれ以上はびこると景観が壊れますので 株分けすることを考えていたのです。

一昨日掘り上げ 昨日鉢を購入するために植木屋さんに行ってお話ししました。

話を聞いた店主から 「今はその時期ではありませんよ 枯れる恐れがあります」といわれました。

無知ゆえの間違いは認めることにしましたが すでに掘ってしまっていたためもう手遅れです。

一縷の望みをかけて今日植えようと思っています。


 

 

生きる意欲がなくなったとき



高齢になって仕事を失い これという趣味もなくて足腰が衰えた人の人生を考えています。

必ずしも高齢者ばかりとは限りませんが さらに何も食べたくないということが重なると厄介なことになります。

次第に痩せていく姿を見ていると 生きる意欲がなくなったこと感じてしまいます。

生きる意欲を失うなんてことが 実際にあるのかどうか私にはわかりません。

ある病院の院長先生が 「臨終のときはねえ すべての人は大きく息を吸って 吐けなくなって死ぬんだよ」といわれました。

そして「それは誰でも最後まで生きたいからなんだよ」と付け加えて話されたのを聞いたことがあります。

今私が思っていることは 生きる意欲をもつためには食べることが大切だということです。

「食欲の秋」といいますから まず「食べる楽しみ」で意欲を回復したらいいと思っています。


 

 

キンモクセイの花が咲き始めました



心待ちにしていたキンモクセイの花が咲き始めました。

全開までにはもうしばらくかかりそうですが 3割くらいの花つきです。

桜なら3分咲というのでしょうが キンモクセイの場合の表現を知りません。

20日にお客さんがお見えになっていたので そのときに咲いて欲しいと思ったのですが間に合いませんでした。

華やかさはないのですが この香りを嗅いでいただこうと思ったのです。

見て楽しむ花は沢山ありますが 香りで楽しむ花もあることを体験していただきたいと思ったのです。

数日後には朝の冷気とともに 一面に漂う香りが楽しめるはず。

そしてさらに数日後には 雨に打たれて落下した花で地面に模様が浮き上がるのも乙な風情です。


 

 

クマと接触して特急4本運休



23日の地方紙に 出雲市の市街地にサルが1匹出て騒動になったという記事が出ていました。

合わせてそれと同じスペースで JRの列車が浜田市郊外でクマと接触し その後の列車が運休したという記事がありました。

その記事を見ながら 同じスペースであることが不思議でした。

サルとクマの出現が同じレベルの事件として扱われているのです。

危険性においても被害や珍しさにおいても 相当な差があるはずです。

さいわい二つの事件とも被害はなかったようですが 共生する時代が近づいている前触れと感じます。


 

 

「お忙しいのにすみません」



お参りに行くとまず 「お忙しいのにすみません」といわれることが少なからずあります。

約束してお参りしているのですからお詫びをいわれなくてもいいのですが 決まりことばのようにいわれます。

自分自身は暇を楽しんでいるくらいに過ごしていますので まったく忙しいとは思っていないのです。

忙しく見えるとしたら 以前に福祉施設を経営していたときの残像があるのかもしれません。

あるいは穿って考えると お参りのないときは お寺にこもって仏教の勉強をしていると見られていることも考えられます。

そのようなこともしていませんし 実際にはまったく忙しくないのです。

ただし暇を持て余しているかというとそうではありません。

せっかくいただいている時間ですから しっかり有意義に使わせていただいています。

自分ひとりのために使うのではなく 家族やご縁をいただくお方といっしょに使わせていただけるのが楽しくて毎日ワクワクしています。


 

 

変化するのかしないのか



お寺にとって年間の最大行事「報恩講」の様子が変わりつつあります。

一つは「おとき」の接待がなくなること。二つ目は「参り合い」をしていたお坊さんが減ることです。

「おとき」接待の中止は まず作り手の人たちが密になることや高齢化があります。

続いて召し上がっていただく時間が長引くこともあります。

二つ目の変化となる「参り合い」の僧侶が減ることは 寺院間の都合によるものです。

今年もコロナウイルスの感染防止という狙いはありますが 昨年いろいろ中止した体験から 準備が楽であった感覚も残っています。

今後コロナ以前に戻すかあるいは変化するか 考える機会です。