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アーカイブ:2020年
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8月

過疎四苦八苦

受け取られ方



会話とか態度によって 受け取られた方の感情を見ることができます。

先日家人が若い女性と会話しているとき 「お酒をたしなんでいたころの話になりました。

「何を飲んでおられたのですか」とたずねられたときのことです。

「焼酎のお湯割り」と答えたあとで 「仕事が終わって夕食のとき 陶器の湯飲みでぐぅーと飲む一口で疲れが一瞬で消えていました」と話したのです。

その女性が 「それは何という銘柄ですか あまりにもおいしそうにいわれるので私も飲んでみたくなりました」といって コースターの裏にメモられました。

傍で会話を聞いていて それは家人の実感でとくに演技をした話しぶりではありませんでした。

そしてこれは私の体験ですが ご近所に焼きたてのパンを持参したときのことです。

壊れものを抱えるように両手で受け取られ そのパンと私の顔を交互に見ながらお礼をいわれました。

「差し上げてよかった」と 自分がうれしくなる「受け取り方」があることを再確認しました。


 

 

タイミングの大切さ



何事にもタイミングを合わせることは大切です。

タイミングがずれたら せっかくの好意も半減しようというものです。

2日連続してそれを体験し 気をつけなけらばと思っているのです。

お参りが終わり着替えをしようと席に戻ったら 早々とお茶を出されました。

その行為は 「お疲れさまでした 喉がかわいたでしょう」という思いが素早い行動になったと 好意的に受け取ることができました。

とことが法衣を畳んでバックに収めるタイミングではとても困るのです。まずはそれを済ませてからお茶はいただきたいのです。

こぼさないように お茶の位置を変なくてはなりませんし 埃もたちます。

タイミングを計るといいますが 相手の気持ちと行動を計るこという意味でしょう。

何事においても 「間合いを取る」とか「頃合いを見計らって」行えるようになりたいものです。

 

 

自宅葬



いまでは珍しいことになりましたが 昨日のお葬式は ご自宅で営まれました。

新型コロナウイルスの感染防止という理由も加わり 今では家族葬という形式が主流になりつつありますから 会場はどこでもよくなっています。

大方の弔問客は地元の人であり お悔やみのことばを申しあげるにしても 自宅でのお葬式は好都合であったと推察します。

会館でのお葬式に慣れきっていましたが 着替えのお宅もお隣に準備されていて 不自由は感じませんでした。

しかし何より お参りの方々に親しく「人生の意味」を伝えることについては 会館では実現できない雰囲気がありました。

「地獄へ落ちる生き方を重ねていること」を語り そのような生き方をしている自分を 「アミダさまが救いの目標にして誓いをたてられた」と語る。

そのようなお話を語り掛けるようにお話しすることができ 聞いてくださる方々の違和感は薄いように感じました。

そこには ストレートに仏法を語ることができる場があるように見えたのです。

新型コロナウイルスの感染警戒が続く昨今の仏教行事は 新しい布教の形と意味づけが生まれようとしている状況ともいえそうです。


 

 

7回のお話し



仏教徒のご家庭では 家族のどなたかがお亡くなりになると 亡くなられた日から7日ごとのお参りが始まります。

その根拠は 『仏説十王経』という経典といわれますが その経典が仏説であるか否かの真偽はあいまいなものです。

この習慣がいつから始まったものか定かではありませんが 仏教に触れる機会としては貴重な習慣に思っています。

一回目から二回目くらいまでは 故人の思い出をしっかり聞かせていただきます。

「思い出」は 語る人の記憶に強く残ったものが中心ですが それがすべてではないはずです。

そこで質問しながら つながりの深さに気づいていただけたらと思い 質問を重ねます。

そうすると 存命中なら口にすることはなかろうと思うような感謝のことばを聞くことができます。

故人やその家族が お互いに「生かされて生きていた」ことに気づくきっかけになればいいと思っています。


 

 

原因がわかると



いやぁ~ 昨日は本当に暑かったです。

1時間ほど止めていた車に戻ったら 44度。それでも汗が噴き出すことはなかったので 湿度は低かったのでしょう。

数日前から 日本海側では台風の影響でフェーン現象がおこると報道されていました。

暑いながらも ぼやきの回数が少なくて済んだのは 「フェーン現象のためだ」という原因がわかっていたからです。

原因がわからずに暑さだけが続くと 「暑い暑い」というぼやきは エンドレスのように続いたと思っています。

フェーン現象という原因がわかり 暑さの終わりに予想がつきますから 無意識にぼやきは減ったのでしょう。

原因がわかると未来がわかり 現在が肯定できるという関係なのでしょうか。

自己中心の生きざまに気づくと地獄行きの未来が見え そして現在の暮らしに納得と感謝が生まれることと同じといえるかも。

 

 

色紙



食べ物屋さんの評価には 少なからず個人差があります。

また食べたときの体調などの条件の違いもあって 必ずしも絶対的なものではありません。

昨日出雲大社の近くにある 「平和そば本店」に行きました。

お昼前に スマホで「出雲そば」と検索してヒットした七軒のうちの一軒だったのです。

町の中心からは少し外れた 小さなお店。午後1時前でしたが 車を止めて店内に入ったら順番待ちでした。

受付にある来客者の名前はすべて消され 次に呼ばれるようなので待つことにしました。お昼どきは混雑するのだろうと想像できました。

席につき 割子そばを注文して横の壁を見たら 安倍総理の色紙が2枚掲げてありました。

平成26年の日付を書いて ご自身の座右の銘のようなことばと味の評価 そして名前がサインペンで自書されていてました。

神社参拝の折どなたかがご案内されたと思われますが そのお方の味覚が 総理の舌に合ったか それとも店名が効いたのかどうか。

私たちは「これはおいしい!」と思いましたので たぶん満足であったろうと思います。


 

 

本屋さん


本屋さんが生きのびることは大変だろうなあ と思います。

次々に出版される本がすべてヒットすることはないはずです。

早々に売れ残りの見きりをつけ 売場を新鮮な状態にしておかなくてはなりません。

読みたい本は 一人一人皆違うはずです。

昨日見た本屋さんの品揃えは 店員さんの話し合いで決められていると感じました。

お客さんが本を選ぶのですが 本屋さんに行くと お店の人から無言で選ばせてもらうのです。

作家の力と同じように 人の力で読むことになります。




 

 

恐竜のお勉強に出かけます



奥出雲にある「奥出雲多根自然博物館」に行ってきます。

ここに小畠郁生さんという先生の展示室がオープンしたというニュースで ここに恐竜の展示があることを知りました。

なぜか次第に恐竜への関心が強くなっているのですが そうなった原因を知りたいと思う気持ちもあります。

自分自身のことだからわかりそうなのものですが それがよくわからないのです。

縄文文化とか 遺跡の埋蔵品や壁画を接することは比較的たくさんありました。

それが小さなつながりになってさかのぼり 今恐竜への関心まで来ているような気もしますが なぜそうなるのかを知りたいのです。

仏教で無量寿とか「いのち」のつながりのことを学んでいることと関係があるような感じもあります。

恐竜やマンモスが生きていた太古の時代が 「いのちのつながり」という事実で自分の中になつかしさが生まれているのかもしれないと思う気持ちがあります。

そんな「つながり」のことや 惹きつける要素の中身を知りたいのです。行ってきます。


 

 

漫談のお説教



隣のお寺で恒例の行事をしました。

午後からの行事でしたが 潮風が吹きこんで気持ちよくお参りすることができました。

ちょうどお昼寝の時間に重なるので お説教を聞きながら居眠りをする光景を見かけることは多いのですが 昨日はそんな光景は一度もありませんでした。

その原因は お話しがおもしろかったことにつきます。

仏さまのお話を聞く場面なのですが 漫談のようなお話で 笑いが絶えなかったのです。

お話の時間を「30分で」とお願いしたこともあるのですが 眠くなる隙間がないくらい「にやり」とか「うんうん」「わかるわかる」のうなずきが続きました。

仏さまのお話は 頭で理解できないので うなずくことはできません。

笑えたりうなずいて共感できるのは 全部人間のお話。

その比率が多かったので眠くならなかったのです。お話はよかったですよ。


 

 

今年の夏の異変



夏になってからの長雨とその後の猛暑。

ご近所さんとお話ししていると 異常気象が原因ではないかと思われる話題がたくさん出ます。

農作物の話題として スイカが甘くないこととかゴーヤが大きくならないこと。

それは蔓枯れが原因だというベテランの声には説得力があります。

ハウス栽培のホウレンソウが腐ってしまって 廃棄作業から一日が始まる話しは農場勤務の人。

カブトムシが異常発生しているという話も聞きましたが その原因について素人学者の解説はまだ聞こえません。

トカゲが多くてヘビは少なく アブハチも少ない現象もありますが気象との因果関係の解説もありません。

異変については 畑や野山からもしっかり伝わっています。