HOME
»
過疎四苦八苦
»
アーカイブ:2020年
»
4月

過疎四苦八苦

共存 その2



ウイルス感染の拡大が止まりません。

毎日の報道を聞いていると 自粛期限の5月6日がさらに延長されることもありそうです。

また 自粛期間が延長すると 報道の幅が広がり始めるようにも感じます。

今までは 感染防止 感染者対策 医療現場の状況 経済対策 自粛要請 学習対策といった報道が中心でした。

そして少しずつではありますが 治療薬の開発の様子に加えウイルスとの共存の話題も聞こえうようになりました。

さらにはごく最近ですが コロナウイルス終息後の報道も出てくるようになりました。

共存について ひとつの考え方に出会いました。

それはこのウイルスによって 今までの暮らしを直すきっかけにしようという意見です。

小麦粉が一時的になくなったのは 家から出られない子供たちが クッキーやたこ焼きなどをするようになったからだそうです。

すると親子の会話が生まれます。そのような出来事がおこるのはコロナウイルスのおかげです。

人間の英知によって 幅広く考えて見ましょう。

 

 

お店から小麦粉がなくなったらしい



買い物に出かけた家人が 「パンを焼く小麦粉やイースト菌がない」といって戻ってきました。

どうやら輸入が止まるという趣旨のテレビでの話しがあったようで それが原因のようです。

小麦粉が輸入に依存していることはわかっていましたが コロナウイルスの感染騒動でなくなることなど想像していませんでした。

そんな放送前にはお店に並んでいたのですが 放送と同時に消えてしまったようです。

消毒液やマスクなどが品切れになることは想像できますが トイレットペーパーとか小麦粉がなくなることは想像できないのです。

外食を控え自宅で食事をするようになることで パンを焼く人が増えるのでしょうか。

日本人の主食はお米ですが お米は品切れになっていないようですから 食べ物がなくなるという心配ではありません。

こんなときには なんとしてもパンでなければと考えないで お米や麺類を美味しくいただく工夫をするチャンスにしたらいいと思うのです。 


 

 

感染終息後



その日がいつかはわかりませんが 感染は必ず止まります。

その日からどのように活動するか それはとても大切なことです。

それを考えるのは今。

世界のリーダーたちはそんなことを考えておられるようです。

日本電産の会長兼CEOの永守重信さんは すでに50項目にわたる行動テーマを考え出されたといいます。

コロナウイルス感染拡大が終息し 自由に動けるようになったとき即刻手をつけられるのでしょう。

世界のリーダーと同じことはできませんが これまでの生活を反省しこれからどうしていくか考えておくことは大切です。

私も「感染終息後」の行動課題を考えているのですが2項目しか浮かびません。

今まで課題を持たずに暮らしていたことがよくわかりました。


 

 

廃屋



かって我が家の隣であった家が自然崩壊して 竹藪になっていました。

小山を挟んで我が家から30メートル離れたところに建っていた 小さな家でした。

持ち主は 一家で大阪に働きに出て空き家でした。

一時親戚の方が借りておられたのですが その方が出られてからおよそ50年にはなります。

昨日家人といっしょに その家の周囲にフキ採りに出かけました。

かっては「往還」と呼ばれた道があったのですが すっかりイノシシに荒らされた道に変わっていました。

その先で見たものは そこに建っていたはずの家がペシャンコにつぶれ 一面を草で覆われていたのです。

家人にとってその光景がよほどショックだったらしく 「涙が出そうになった」といいました。

あと50年で この集落全体が このような光景に変わるのではと思うと寂しくなります。


 

 

人生のこと



顔見知りの人がお亡くなりになったときは その人の一生のことを思うことにしています。

そしてときには 自分の生き方を振り返るときもあります。

記憶に残っている出来事や 時代のことなどを考えながら そのお方がそのときどう思って過ごされたのか想像します。

逆境と思われる時代や環境での一生と思えるお方なら その力を身につけられた子供のころのことを想像します。

そして今の自分の生き方に合わせてみると かならず何かを学ぶことができます。

通夜の席では そんなお話をさせていただきます。


 

 

共存



境内の周囲の草が一面に伸び始まました。

野生動物との共存に続いて 草との共存も考え始めています。

数日前に境内の白州に伸び始めた草を枯らす薬剤をまきました。

根っこから枯らしてしまうことなので 人間の傲慢さや罪悪感を感じながらも 「お寺の管理」と思いながらまきました。

続いてツツジやバラの間に生えている草をとっています。できる限り根っこから引き抜きます。

草が人間の命を脅かすことはありません。

私は境内の美観とか 楽しむために植えた目的を維持するために草をとります。

薬剤を使うにしても手作業で行うにしても 人間の都合で排除することには違いがありません。

草は何もいわないので わかりませんが悔しいと思っているかもわかりません。恨んでいるかもわかりません。

人間は許しを請うことはできません。

自分がしている行為から「身勝手な生き物だなあ」と感じることや 「人間らしい生き方を考える」ことはできます。

「人間は考える葦である」という先哲のことばと 大乗仏教の「成仏の教え」を思い出しました。


 

 

マスク



マスクの顔にすっかり慣れました。どこに行ってもマスク顔の人ばかりなので慣れてしまったのです。

マスク顔は その人の表情を観察することが困難です。

そんなストレスを感じ始めたのでしょうか ひと中でマスクをつけておられない人を見ると その人の表情を一瞥して 心情をあれこれ想像するのです。

マスクをつける習慣がないので つい忘れた人。
世の中の騒ぎに ノーマスクで抵抗しようとしている人。
新型コロナウイルスの情報と疎遠な 幸せな人。
たまたまつけるのを忘れ 内心でビクビクしている感じの人。
この場から早く逃げたいと イライラしておられるようでも。
もしかしたらマスクをおもちでない人かも。
マスクの調達などのお世話をする人がおられない人。
自分は大丈夫という自信をおもちとか。

その人の風貌態度とか目の動きを観察して いろいろな想像をしてみるのです。

連日のマスコミ報道で これだけ恐怖心をあおられていてもマスクをつけない人がおられることに想像が膨らみます。

マスクによって表情を隠さない人への観察が深くなります。


 

 

バードウォッチング



お天気がいい朝 お寺ガーデンに小鳥がやってきます。

バラの木の間を歩きながら 地面の下にいる虫をついばんでいるようです。

春先に土地を改良したことで 昆虫たちが暮らしやすくなったのかなあと想像しています。

花を育てることは 昆虫や小鳥を育てることにもなるようです。

お花を育てる楽しみに やってくる小鳥たちを観察する楽しみが 新たに加わりそうです。

二つのことを観察していると 自然の摂理に思いが向きます。

小さなお庭ですが 大宇宙の縮図と思います。


 

 

お寺ガーデン



カナダにある「ターシャの森」とか 旭川の上野ガーデンなどいたるところにすばらしいお庭があります。

それぞれの庭には オーナーのポリシーとか企業の方針のようなものが感じられます。

それぞれに個性があって 散策すると知らず知らず引き込まれます。

ところで塀で囲まれたお寺の境内にも 庭がしつらえられています。

その庭にもポリシーがあるはずですが 長時間座るとか説明を聞かないと感じることができません。

特に不満に感じるのことでは ただ遠くから眺めるだけで身近に親しめないことであり 一般に解放されていないこと。

形を整えた松 掃き清められた白洲や石など 押し付けるようにつくりあげられた美。

そうでない庭を「お寺ガーデン」としてつくりたいと思い楽しみながら準備をすすめています。

今年は50% 来年の花の季節には100%が目標です。お楽しみに。

 

 

つまみ食いの人生



振り返ってみると これまで「つまみ食い」をしながら生きてきたような感じがしてきました。

あれもやり これもおもしろそうと手を出してきて 自分が本当にやりたかったことは何だったのだろうと振り返ってみたのです。

「あの人が生涯を通してやってきたことは何だろう?」と 整理しなければならないような生き方をしていたと思ったからです。

仏教の勉強をした人とか 熱心に布教をした人とは見えないはずです。

あるいは事業にも手を出して成功した人とか お坊さんをしながら地域に貢献した人ということでもありません。

いま評価を受けるとしたら 興味がわいたことに手を出し 真髄を極めることなくあれこれやった人になるはずです。

それも一つの生き方ですから 悔やんでいるのではありません。

このスタイルを徹底して おもしろいものをつまみ食いしながら あらためて自分の人生模様を描こうと思います。