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アーカイブ:2020年
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3月

過疎四苦八苦

なかなかの人



「あの人は なかなかの人ですから」といわれる人がおられます。

そういわれるご本人を知っているわけではないのですが どんな人なのか想像できるように思います。

「なかなかの人」のご主人が 勤め先の社長の息子さんで その奥さんもいっしょに働いておられるようです。

そしてその奥さんが「なかなかの人」というお話しでした。

「なかなか」の中身は 糖度などの品質基準を下回る果物を 合格品のブランドで出荷させるということらしいのです。

注文数の品ぞろえとか資金繰りなど いろいろな事情があるのでしょうが 味覚が敏感になっている顧客を裏切るような行為を「なかなか」と評価されたのです。

そのお話しを聞いていると もしマンネリ化したお参りで済まそうとしたら 「なかなかのお坊さん」といわれることになるのです。

もしかしたら 「なかなかのお坊さん」といわれているのではないかなあ。

 

 

有難い役割



「有難い役割をさせていただいているなあ」と思うようになっています。

法事などで個人の自宅に招かれ お集りの皆さんと親しくお話できることです。

それぞれのご家庭にそれぞれの話題があり それを聞くことがとても有難いのです。

興味がある話題を話し合えることも有難いのですが まったく関心がなかった話題から新しいことを学ぶことができます。

お集りの皆さん同士の会話を聞くことに終始することもありますし こちらから積極的に参加したら会話が広がります。

初めて聞くお話しには できる限り積極的に参加して楽しませていただきます。

めったにないことですが 参加できない話題に出会うこともあります。

だれかの悪口とか政治の話題には困るので 話題を変えるための提案役をすることもあるのです。

法事は 仏法を話し合う行事ですが お互いの学びあいの場でもあるようです。

 

 

電話帳



携帯電話が誕生して 固定電話の必要度が減っています。

今まで使っていた電話帳に記載されている番号に電話して 「この電話は現在使われていません。調べなおしておかけ直しください」というアナウンスを聞くと途方にくれます。

携帯の電話番号は 個人情報のような感じなので ご本人に教わるしか方法がありません。

それを教えていただくにしても お互いが必要性を感じる人や親しい人でないと聞くことをためらいます。

こんな場面が増えるにつけ 必要性だけでつながるという狭い社会になりそうで心配です。

一家に一台から一人に一台になって 当分の間 せっせと個人電話帳づくりをしなければならなくなりました。


 

 

誤診



「誤診」を考える機会がありました。

つまずいて転倒し したたかに胸を打ったことがあり 念のために夜間緊急外来で診察を受けたことがあります。

レントゲン撮影をして調べ 当直の医師が「骨折も内蔵の傷もありません」と診断の結果を告げました。

その日の当直医は内科の医師で まだお若いように見えました。

大いに安堵して帰宅したのですが 翌日から痛みが薄らぐこともなくひどくなるように感じたのです。

3日後に専門医を訪ねたら 同じレントゲン写真を見ながら骨折を告げられました。最初の診察が間違っていたのです。

専門外であり経験が少ないので 誤診を責めようとは思いません。

このようなときのことばとして 「念のために専門医に診てもらってください」というひとことが欲しいと思いました。

私はお坊さんとして 自分に届いた如来さまの約束のことをお話しする 専門医のような役目をしています。

仏法のお話しは レントゲン写真を見るようなわけにはいきません。いろいろなお話しを聞いて「誤解」がないようにしたいと思っています。


 

 

石に刻まれた文字



山中に高速道を通すため 山裾にあったお墓を移転することになったお方がいらっしゃいました。

その前にお参りしてほしいといわれ 念のために長靴を履いて出かけたのです。

あらかじめ草刈りやぬかるみの修復はしてありましたが つくづく「長靴でよかった」と思いました。

かって田んぼであった場所の奥に 二基の立派な墓石が見えました。その一つには 「陸軍〇〇 勲〇等〇位」という肩書が彫られたお墓があったのです。

これはかっての大戦の戦没者のお墓なのかと思いましたが 昭和10年に70歳過ぎてお亡くなりになったという文字があるのです。

これはお亡くなりになったご本人の 生前の肩書と功績でした。

そんなものを彫った墓石を見かけることが少なく 少し奇異に感じましたが ご家族の思いだったのでしょうか。

肩書も功績もこの世の人生の記録。お浄土のお土産にはならないと思うので 断捨離をお勧めしますよ。


 

 

わさび漬け



葉ワサビの醤油漬けをいただきました。

インスタントコーヒーの大瓶のふたを開けたら ワサビの香りと鼻を衝く強烈な刺激に たまらずむせてせき込んでしまいました。

「これはおいしいぞ」と思って 翌日の夕食にいただきました。

あっさりした味でしたが 歯応えを楽しみながら噛みしめるにしたがって 甘みが出てきたのです。

ワサビの香りが立ってむせかえりながら そこを通り越して思いっきり野趣を味わいました。

いつもは控えめな家人が 「これは美味しい」といったのは驚きでした。


 

 

お礼状



お説教に来てくださったお坊さんからお礼のハガキが届きました。

毎回のことですが このお坊さんからは行事の2日後にはかならず届きます。

そのハガキは いつもより長めの文章になっていました。

新型コロナウイルスの話しが飛び交う中で 自分のお寺では 悩んだ末に昨日の法座を中止したこと。

その翌日にやって来たこのお寺で 待っていたかのような大勢に皆さんの真剣な眼差しに出会ったこと。

その感想を 「たとえ燃え盛る火の中であっても そこを通り過ぎてでも仏法を聞きたい」といわれた親鸞さまの和讃が頭に浮かんだと書いておられました。

いただいたお礼状から ご自身の決断への後悔と 無心に集まってくださった方々へ頭を下げておられるお姿を感じました。


 

 

人生ゲーム



やって来た孫たちと 久しぶりに「人生ゲーム」を楽しみました。

このゲームの勝負は ゴールのときどれだけ多くの資産をもっているかということで決まります。

孫二人と私たち夫婦4人で 約30分のゲームでしたが ルールを熟知している孫が主導してくれて楽しく遊べました。

このゲームが用意している人生のゴールは 「死」ではありません。

ルーレットを30回くらい回せば 大方の人はゴールできるというものです。

途中でバックする出来事もありますが 人生にはやり直しはありません。また人生のゴールは死の直前まで続きます。

自然災害や家族や親せきに起こる出来事も無関係ではありません。

そんなことを思いながら遊んでいたら 月給8,000ドルの勤め人から 日給制アルバイトの身分になっていました。

ところがルーレットのいたずらで 小説が入選して懸賞金が入ったり石油を掘り当てたりして 2番目でゴールした時はなんと大金持ちになっていました。

その大金を全部残してゲームを終了したのですが この大金の行方は胴元に収まりました。人生はめでたしめでたしです。


 

 

背比べ



部屋に入ってきた孫の姿を見て 少し背が高くなったように思えました。

「ちょっと背比べしよう」といって 家人に判定してもらいました。

「H君が5ミリ高いよ」というジャッジ。

これで2人の孫に追い抜かれることになりました。

うれしいものです。

そのあとで 自分が父親や祖父と背比べをした記憶がないことに気づきました。

なぜ背比べをしなかったのだろうかと あれこれ考えて見ました。

大人に対してのリスペクトがあったのか 大人に遊び心が乏しかったのか あるいは兄弟同士で用が終わっていたのかわかりません。

並んで背比べするだけの行為ですが 意外に気軽にできない行為なのかもしれません。


 

 

お寺ごはん



今日は春のお彼岸法座です。

新型コロナウイルスの感染を気にしながらの開座ですが 準備してお待ちしています。

昨日の夕方から 4人のスタッフに来ていただいて「お蕎麦」を打ちました。

4キロの粉を4時間近くかかって打ち上げました。

出汁や薬味も準備もしていただき お昼に召し上がっていただきます。

お寺ごはんを始めて一年過ぎました。スタッフの皆さんに協力していただき 地域の善男善女の皆さんによろこんでいただいています。

昨日は 隣のお寺での法座でした。ご講師さまが 「よろこびを伝えることが いのちのつながりです」とおっしゃいました。

楽しそうにお寺に通っていたことを見ていただくことは いのちのつながりになることだと思っています。

今は曇り空ですが さてお天気はどうでしょうか。