HOME
»
過疎四苦八苦
»
アーカイブ:2019年
»
9月

過疎四苦八苦

キンモクセイ 今年も咲いた



キンモクセイが咲きました。うれしいですねえ。

台所の小窓 洗面所の窓からよく見えます。

朝 家内が「キンモクセイが咲いたよ」と教えてくれました。

「今年はたくさん咲いているよ」というので 庭に出てみました。忘れずに咲いてくれたことが なぜか今年はうれしかった。


 

 

ミスしたときはどうしますか



販売などの仕事をするとき 「目標を達成したら賞金を出します」という約束をすることは珍しいことではありません。

ところがその目標を達成した後で 「あのとき約束した賞金額は計算ミスでしたから 減額してください」と申し出があったことを聞きました。

その事件の解決は 約束した当事者同士で話しあって解決することが原則と思うのですが 実際にはいきなり仲介者に解決の依頼が行ったようでした。


ミスした側の人が 約束した賞金の減額を認めてもらうために外部の権力者に仲介のお願いをしたのです。

そこで別の事件に発展する状況になってしまっていることを聞きしました。

仲介者としては 頼られたからには思いが生まれるのです。

仲介者の顔をつぶすわけにはいきませんが まず話は約束した当事者同士から始めることが基本でしょう。

日韓のもめごととは違って お互いの誠意の示しあいだと思います。

どんな事業にも 浮き沈みや紆余曲折や過去と未来があります。

お互いが 世の中は諸行無常であることを思いながら話し合ってほしいと思います。
 

 

 

マイタケ



キノコの季節が来ました。

マイタケは季節に関係なくいつでも食べることができる感じですが やはり季節に食べる方がおいしく感じます。

というわけで 先日のおもてなしにマイタケ料理が出ていました。

オリーブオイルでいためバターで味をつけただけのシンプルなお料理でしたが シャキシャキとした歯応えとほのかな甘みを楽しみました。

近所に「珍しいキノコが生える場所がありますよ」と 今年の初めキノコ博士に教えていただきましたので もう少し気温が下がってから探してみようと思います。

茸狩りは 里山ならではの楽しみです。


 

 

琴線



人が怒りたくなったり 不愉快になる原因について考える機会がありました。

結婚して15時年も過ぎ 子どもさん2人もおられるご夫婦の出来事を聞いたときのことです。

40歳を過ぎたご主人を その会社の同僚たちと聞いたのです。

その出来事というのは 数年前のクリスマス翌日の夜に発生したそうです。夜仕事から帰ると 玄関前に「かごに入れた洗濯物があった」と。

「コインランドリーに行くように」という奥さんのメッセージかと思いながら自宅の鍵を開けたら ドアにはチェーンがかかっていた!

そこでどのようなやり取りがあったのかの話はなかったのですが ご本人は洗濯物を抱え その晩は「コインランドリーで一夜を明かした」と。

その翌日から2日は車中で暮らして 都合3日間の外泊。

「奥さんが怒られたことの心当たりは?」とたずねても 「心当たりがないです」との答え。

お酒の席で聞くにしても あまりにも珍しく面白い話なので盛り上がりました。

あれこれ話しているうちに 12月25日は奥さんの誕生日ということがわかりました。

ご主人は忘れてはおられなかったそうですが どうやら朝一番の「誕生日おめでとう」のひとことや早めの帰宅 プレゼントを買ってくることはなかったようです。

人のよろこびや怒りの琴線はそんなに多くないと思うのですが 奥さんの琴線は「自分への関心」だったと感じました。

「その人にとって大切な琴線に気づきなさい」というドラマを演じてもらったと 受け止めてほしいと思います。

 

 

ふっきれた気がします



樹木希林さんが 「死ぬときくらいは すきにさせてよ」とおっしゃったそうです。

いろんな意味で 「いいことをおっしゃったなあ」と思います。

私にとって死は何時何分という「時刻」ではなく しばらくの長さやつながりの広さをもったものです。

ぴったりする比喩が見つかりませんが 海に近づいた川の流れのようなものと考えたらいいと思います。

そこまで流れてきて 無理やり流れを変えようとしたり 堰き止める努力は止めにして自然に任せる人生です。

もう何年になるでしょうか 「死に方研究所」を設立していました。

しばらく活動を休んでいましたが 活動を再開することにしたのです。

この活動というか事業が 私に与えられた仕事であることに気づいたのです。

研究に参加してくださる研究員のみなさん全員に すばらしい成果を手に入れてもらいたいと思うのです。

その成果とは 「ありがとう」「生きてきてよかった」「またあおうね」ということばで終える人生になることです。

これからの人生は その目標に向かって進みたいと思っています。

 

 

お花の入れ方



家内はとてもお花が好きです。

育てることも その花を切って活けることも好きです。

お花にも好みがあるようで 山野草など小さなお花が好みです。

今日お迎えするお客さまのために 玄関とお茶室にお花を入れました。

玄関には 大きな素焼きの甕に ススキとコスモスをいっぱい入れました。秋の野原のイメージです。

お茶室は ヤマブドウのツルを見つけ 育てているナツハゼとニシキギといっしょに入れています。お茶室の一角から 秋の里山の風景が伝わるようです。

私もいっしょに花材探しをしました。その気になれば 野山の草木はなんでも花材になります。

緊張をといていただく瞬間を想像しながら 季節の草花を組み合わせ 手元にある好みの容器に入れる楽しみ。

お客さまからその楽しみをいただいています。


 

 

京都現代美術館



京都祇園。

繁華街のど真ん中にある「何必館」という初めての美術館に行ってきました。

四条通に面した 幅が狭い地下1階地上5階建ての美術館で 北大路廬山人の常設展示室がありました。

とくに観たいものがあったわけではありませんが なぜそこに美術館があるのか どんなことを考えているのか興味があって訪れました。

ちょうどマルク・リブーというフォトジャーナリストの写真展をやっていました。

毛沢東 周恩来 ホー・チミン カストロ チャーチルといった歴史の渦中にいたリーダーや 当時の子供や労働者などの写真を見ることができました。

自宅に帰ってから その美術館がそこに存在する理由をあれこれ考えました。

このたびの写真展と 廬山人の紹介に書かれていた文章から推測して 浮世の繁華街にいても「世の中をよくすることを忘れるな」と 警鐘を鳴らしているのではないかと思いました。


 

 

ラグビーワールドカップ観戦中



20日から始まったワールドカップの試合を 興奮しながら観戦しています。

ルールもいまひとつ理解できていませんし 選手の役割とか戦略などもわかりませんが とにかく面白いのです。

15人の選手が 一つのボールを奪うために全力でぶつかり ゴールに向かって進もうとする姿に感動しています。

殴ったり蹴ったりすることはないのですが 相手選手を押しのけるために体当たりしたり引き倒す様子は 格闘技としか思えません。

ボールを持てば 全力で走り 追いすがる相手選手を払い倒す迫力には圧倒されます。

日本チームは世界で10位というランクですが 1位にランクされているアイルランドとか 2位のニュージーランドチームの試合を見ていると 実力の差を感じます。

次の相手は 28日のアイルランド。どのような戦い方をするのか 試合が待ち遠しいのです。

私がラグビーファンになったのは 大学ラグビーの早明戦を見たのがきっかけです。

それからぽつぽつと観戦するようになり 地元の智翠館高校が花園大会の常連チームになって次第にはまっていきました。

そしてこのたびのワールドカップの大会中に 熱烈なラグビーファンになる予感がしています。


 

 

「記憶にございません」




昨日は「記憶にございません」というタイトルの映画を見に行きました。

三谷幸喜監督も 主演の中井貴一さんもファンなので機会があれば観たいと思っていた映画でした。

チケット売り場で 「何を観られますか」と聞かれ とっさに「間違いございません」といいました。

女性の係員の人は笑顔で「記憶にございません」ですねといって 空き座席表を見せてくれました。

なぜ「間違いございません」といったのかわかりません。

似たようなことばを見つけていったつもりですが 席について考えてみたらまったく似ていないことばでした。

私には「記憶にございません」という習慣がなかったからでしょう。


 

 

「そのうちなんとかなるだろう」



内田樹さんの新刊書のタイトルです。

社会を考える切り口がとても豊富なお方で ずいぶん前からファンになっています。

自分の人生の終焉を考えるようになってからというものは 内田さんのお話はとくに腑に落ちます。

お考えも素晴らしのですが 何よりご自身の思いを伝える文章が素直でやさしいのです。

タイトルからもうかがえるのですが ご自身が円熟してきておられるのだろうと感じています。

この本には 内田さんの生き方が動いて行く出会いが書かれています。

見える出会いや見えない出会いによって 人生が変化することに気づかせていただく 稀有な本と思いながら読みました。