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アーカイブ:2019年
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3月

過疎四苦八苦

プロ野球が始まりました



日米のプロ野球が始まりました。

イチロー選手の引退や ドラフトの目玉になったルーキーたちのデビューなどあっておもしろそうです。

菊池投手が先発したアメリカの野球を見ながら 日本の観客との違いを感じていました。

とくに感じたことは応援のスタイルの違いです。

応援チームのカラー服を着て 声を揃え選手の名前を叫ぶスタイルは日本流です。また二つのチームの応援団がはっきり分かれているのも日本流。

アメリカの観客はどちらのチームを応援しているのか 一瞥しただけではわかりません。

横の人とおしゃべりをしたり いいプレーをした選手が相手選手でも拍手したり どちらの応援にきているのかわかりにくいのです。

日本の観客同じとは思うのですが アメリカの観客の方が 勝負へのこだわりよりも 野球を楽しんでいる雰囲気を多く感じます。

野球の歴史と 国民性の違いであろうと思いながら 今シーズンもときどき見ることになります。


 

 

わさび漬け



数日の間に3人の男性から 自家製のわさび漬けをいただきました。

鼻に抜ける辛味と出汁に それぞれの個性があって楽しんでいます。

カリッとした歯応えと ツーんと抜ける刺激で ご飯がすすみます。

それにしてもこんなものを最初に食べた人は いったい何を思ってつくったのでしょうか。

このような辛いものを 空腹を満たすために食べようと試みたとは思えません。

わさびの根っこを食べるようになって 葉っぱも食べることができるだろうと試みて味を占めたと考えるのが正解ではないかと思います。

なぜかゲテモノというイメージはなく風流な食べものですが やはりゲテモノの仲間でしょう。

醤油で味をつけるため 色は黒ずんでいますが 春先ならではのご馳走です。


 

 

まだ将棋の本質をわかっていない



無冠になった羽生善治九段が 「まだ将棋の本質を分かっていない」といわれた話を読みました。

その意味について なんとなく分かるようでよくわからないのです。

「将棋の本質」・・・・?。
将棋というのは相手との勝負です。相手が人間であれ 人工頭脳であれ 相手に勝つことに違いありません。

当然ながら 将棋のルールに従って勝負するわけで 本質は「ヨミ」を深めるというか 相手以上に「ヨム」ことだけのはずです。

しばらく考えで これほどまでの実績をもっている人がいわれることだから もっと深い何かがあるのではないかと考えを巡らしているのです。

心理的には「相手をヨムこと」「相手をヨム力を身につけること」。技術的には「展開力」とか「判断力」などといったことが考えられますが はたしてそれが将棋の本質といえるモノなのかどうか分かりません。

あれこれ思いながら 「仏教の本質は何か」という問われたら はたして私はどう答えるだろうと思ってしまいました。

勝負して結果を出すものではありませんが 仮説を立てては壊されながら 平明なことばを求道者のように探し続けてきました。 

そして いま探し当てているのは 仏教の本質は「生き方・死に方に気づく智恵に出会うことだ」ということばです。

いまはこのようにお答えします。


 

 

負けたくないよ



勝ち負けの勝負をしているわけではないのですが ついそんな気になる場面があります。

昨日 トイレ休憩で道の駅のトイレに入ってオシッコを始めました。

追っかけるように 春休み中の小学生が数人入ってきて あっという間に用を済ませて出ていきました。

そのときは気にしなかったのですが 彼らのオシッコの勢いはきっと大変な勢いだったろうと思いました。

小学生たちが去った後 その場所にサラリーマンらしいおじさんが立って 用を足し始めました。

そのとき「この人には負けたくない」と思ったのです。

一つ離れたところに そんなことを思っている私のことなど知るはずもなく ゆっくりと開放感に浸るような顔で用を足していました。

最後の一振りくらいで追いつかれるかと思いましたが それもなくてどうやら私の勝。

たわいもない朝の光景ですが 用足しの時間がかかるようになって生まれた競争意識です。


 

 

おから掛けご飯



おとといのお昼ご飯は 高齢者のみなさんといっしょでした。

デイサービスに来ておられる高齢者のテーブルに席をつくっていただいて いっしょにいただいたのです。

この日のメニューは お魚の煮付けと 春キャベツと卵の酢のもの おからの煮もの。それにお味噌汁とリンゴ煮のデザートが並んでいました。

ご飯を半分くらい食べ終えた向かいのご婦人が やおらおからをご飯茶碗にうつして 「おからご飯」にして食べ始められたのです。

「おいしそう」と思いながらも 自分はそうしないで食べていると 隣の席のご婦人と すこし離れた席のご婦人も同じようにご飯のお茶碗におからを入れて食べ始められたのです。

おから混ぜご飯を ゆっくりと楽しみながら食べ終わられて 「ああ おいしかった・・・」といわれたとき ほんとに美味しかったのだろうなあと 自分が食べたような気持ちになりました。

このたびはそうしなかったのですが おからが炊いてあるときには そうして食べていたことを思い出していました。


 

 

イチロー選手の現役引退会見



偉大な選手が引退しました。

たくさん話題をつくり たくさん刺激をいただきました。

私たちには イチローさんが積み上げられた実績の数字とか 節目節目でインタビューに答えられるお話からしか ご本人にふれることはできません。

自分の責任としてプレーし インタビューに答えられる姿勢に感じたことは 彼の信念でした。

その信念について ご本人は「人よりがんばる というのではなく 自分の中のはかりを使い 自分の限界を見ながら 少しずつ超えていった結果」と話されていました。

その記事を読んだとき 彼が自分の中のはかりを意識しておられたこと。そして何かに向き合うときかならず使っておられたことを知りました。

自分がやりたいことに向かって 自分のはかりをもって自分を超える努力を習慣にされていたことに気づきました。


 

 

80にして後ろ姿を知る



24日の山陰中央新報に 「80にして後ろ姿を知る」という記事を書きました。

さっそく高校時代の友人から「記事を読んだよ」という電話をいただきました。友人も80歳になっているのです。

何かを感じてくれたようで 少しばかり話しました。

孔子さまは 10歳刻みで 70歳までは書いておられますが 80歳になったときの心構えはお書きになっていません。

当時の寿命では 80歳の人々へのメッセージなど必要なかったのでしょうか。

まさか「80にして静かに死を待て」とはいえなかったから お書きにならなかったわけではないと思います。

大幅に寿命がのびた現代に孔子さまがおられたとしたら 何とおっしゃるのか。想像していたら 楽しくなります。

私にはもうしばらく生きて して見たいことがあります。

しかし途中でダメになることも考えられますし 何かの一大事業を成し遂げようという気力も体力もありません。その二つから思いついたことが 「後ろ姿を知る」ということでした。

「何かを慕いながら死んだ」という自分の後ろ姿を追っかけようと思っているのです。

  

 

終活



明日から お風呂と洗面所のリフォームを行います。

年齢のことなどを考え ヒートショック対応 腰痛対応のリフォームを計画しました。

いままで使用していたものが ところどころ痛んできたこともありますが 何よりも高齢になって 設備への対応力が減退したのです。

少し悔しい思いもしますが 意地を張らず年齢相応の暮らしに変えることにしました。

約ひとつき不自由になりますが 待っている新しい暮らし方を楽しみにします。

ハード面のリフォームにかぎらずソフト面のリフォームも始めていますが 習慣を変えることなのでやっかいです。

我が家の終活の始まりです。

暗くならず 楽しみながらすすめましょう。


 

 

お彼岸法要をお勤めします



今日は お彼岸法要という伝統行事をお勤めします。

名称は伝統あるものですが 内容は少し変えています。

お寺は何をすところかという目的を 地域住民の聞法と交流の場所という位置づけにしようと思っています。

したがって布教の時間を減らし 会食と交流の時間を増やします。

今日の「お寺ごはん」は 手打ち蕎麦ですが この準備はなかなか大変でした。量が多く 打ち立てということが出来ないので 前日から打ちました。

お参りのみなさんが喜んでくださるだろうという思いだけで いとも気楽に 「手打ち蕎麦」をいい出したために 接待するスタッフには大変ご心配をおかけしました。

新しいことを始めるとき 失敗は覚悟しなければなりませんが 失敗は少ない方がいいと思います。

でもこの失敗はお寺の財産と考えています。地域交流の場づくりという目標を見失わないようにして 次の法座を準備したいと思っています。


 

 

新しい道を走りました



いま利用している道路に並行するように 高速道路が開通しました。

待ちかねていた道路です。さっそく利用しましたが とても便利になりました。

同時に いままで利用していた道路の利用は ガクンと減りました。

それによって周囲が受ける影響をあれこれ想像しています。

具体的には いままでの道路沿いにあったお店がどうなるのだろうということに関心があります。

ガソリンスタンドやコンビニ 食堂やお菓子屋さんなど 通りがかりに利用することが出来なくなります。

すでに対策は立てておられたことでしょうが 存続が心配です。

新しい道路 しかも高速道路の貫通となると 確実に地域は寂れます。便利になるのは移動であり 日常の生活ではありません。

よろこんでいいことなのですが その反面に現れてくる先細りの暮らしは覚悟しておかなければなりません。