水撒きや草取りで庭に出くもる機会が増えています。夕方の庭仕事には「蚊取り線香」が欠かせないと思って準備をして出かけています。
ところがあることが気になり始めました。蚊が少ないのです。蚊に限らずブトなどの虫も少ないように感じるのです。
それを裏付けるかのように蜘蛛の巣が少ないのです。餌になる虫が少ないので巣をかけないのだろうと考えています。
蜘蛛にどのような本能があるのか知りませんが 「食べること」「子孫を残すこと」はすべての生き物に共通している本能ですから それを察知しているのだろうと思います。
また「じゅうぶん食べられる」という安心感があれば 子孫を残すことが出来るのも自然界の摂理です。
人間もその本能と摂理にかなって生きているはずですが 少子化という現象があるのです。摂理としては 「食べることに不安」があるからということになるのですが 飽食といわれる現代の社会では「子孫を育てる環境にも不安」があると推測されます。
食料はほぼお金で手に入れる現代社会。お金を稼ぎながらの子育て環境が不足している現代社会。 少子化現象はその不安な環境から生まれているのです。
サッカーワールドカップで日本チームが決勝リーグ出場が決まりました。
素晴らしい!
午後11時からの試合開始でしたが その時間の私はいつでも睡眠中。途中で目が覚めて スマホの速報を見たら「前半は0-0 ただいまハーフタイム」。
1時半ごろ再び目が覚めて確認したら 0-1で負けていました。気になっていたセネガルチームが負けていたので 2位で通過するだろうと思い安堵して熟睡しました。
前監督と選手間のことや 監督交代によるチーム編成変更などの話題で 大会前から大会への関心が始まりました。
サッカーとか日本チームについていろいろな知識や評価を見聞して 試合を見ることが楽しくなりました。
世界の中で一勝することがどれほど大変なことか 勝ったチーム 負けたチームの様子などを見ながら知らされました。
決勝リーグまでの間 いろいろな話題を楽しませていただきます。
例年になく バラの花が少ないのが気になっていました。
土壌改良して 剪定も間違ってはいないと思っています。水やりも肥料だって不足ではないと思うのですが どうも花付きがよくないのです。
家内とあれこれ話し合って 豚糞肥料を入れてみようということになりました。さっそく知人にお願いして 隣町の養豚所から分けていただく手配がつきました。
豚糞肥料を使うことは初めてであり お店で買うような袋詰めされたものではないので どのような状態で保管すればいいかという心配がありました。
4トン車で届いた肥料はしっかり発酵され においもなくてどこでも使えるようになっていました。
とはいうもののこれほどの量の肥料を我が家の庭で使いきるには 何年かかるだろうかと案じながらとりあえず少し離れた場所において 覆いをかけて保管することにしました。
消費期限はつけられてはいないというものの 効果が続くのは1年くらいなものではないかと思います。
せっせと肥料をまいてきれいなお花を咲かせましょう。
ズッキーニという野菜を食べました。
野菜カレーの中に入っていることもあり何度か食べたことがあるのですが 「食べた」というはっきりした記憶がないのは 記憶に残るような話題がなく まとまった量でなかったのです。
お店で売られているのを何度も見かけてはいたのですが それでも関心はありませんでした。
先日家内が知人からいただいて その食べ方まで教わったそうで さっそく焼いていただくことにしました。
形はキュウリにそっくりですが 種類としてはカボチャだそうです。甘めの味噌だれをかけていただきましたが 大変おいしく思いました。
キュウリのイメージがあって青臭さがあるのではないかと思いましたが まったく青臭さはなくて ほんのりした甘みとさわやかさを楽しみました。
見かけで評価してはいけないという教えでした。
高齢になるにつれ 新しいことが出来なくなるという話を聞くことがありますが それは間違っていると思います。
若いときは怖いもの知らずだから 失敗を恐れずに新しいことに挑戦できるといわれるのですが 高齢になったからといって 失敗を恐れることはありませんよ。
ただ身の程を知っていることや 人目を気にすることの無意味さも知っていますので 自分らしく生きる道で挑戦をするのです。
体力とか活動できる年月などを考えて 無責任な行動への自制はありますが 失敗を笑い飛ばす達観した人生観も生まれていることがあるのです。
老後の不安という壁を破らない範囲の挑戦になることもわかりますが 腹を決めた高齢者は 目標に向かって時間とか経費を集中して挑戦することが出来ます。
さいわいなことに核家族化の状況を 「いいトシをして」という反対がない状況と受け止め 思いっきり変化に挑戦してはいかがでしょうか。
イベント会場におそば屋さんがお店を出しておられました。そば粉カリントウとか 自宅に帰って湯がいて食べるようにしてあるお土産用のそばも売られていました。
2人分のパックを二個買って帰り さっそくいただくことにしました。そのおそばは十割そばで つなぎの食材を入れていないので切れやすいといわれているものでした。
プリントしてある調理方法を読むと 熱湯に入れる入れ方とか 切れやすいから混ぜてはいけないとか細かく書いてありました。
書かれていることの要点だけ探したら 4分程度湯がくこと 一本食べてみて出来具合を確認し そして氷水にさらして麺を引き締めると美味しくなるという三つのことでした。
さっそくその日のお昼には十割そばを美味しくいたいたことはいうまでもありません。
たまに料理の番組などを目にして 「うまそうだなあ」と思い作るつもりはないのですが 作り方までぼんやり見ていることがあります。
ところが「オリーブオイルを敷いたフライパンにあらかじめ用意した食材を入れ 大さじ3杯のお砂糖小さじ1杯の塩 そして醤油を大さじ2杯を入れて」などと聞かされると とたんに作ろうとか食べてみたいという気持ちが消えてしまいます。
レシピというものは 憶えられる程度の要点と 調理時間だけで十分なものだと知りました。
隣町にお住まいのご婦人方の話です。 先日同級生であり仲良しだった方のご主人がお亡くなりになられました。
お葬式は奥さんの実家である島根のお寺さんにお願いし 49日の法事はご主人の実家である千葉のお寺でお勤めすることに決まったようです。
その間 7日ごとにその方たち同級生2人が訪問し 奥さんと一緒にお仏壇の前でお経をあげられるというのです。
門徒式章をつけた一人が導師になって調声し 女性3人が声をそろえて読経するのだそうです。
読経が終わると御文章の拝読があり そして「おとき」をいただくという念が入ったお参りが続いているという話でした。
先日の「おとき」は地域名物の「イカメシ」だったようで 仏事を楽しんでおられる様子が頭に浮かびました。そしてこの奥さんは癒されているだろうと思いました。
読経することで満たされることがあると思います。友達との語らいで寂しさが薄らぐこともあるでしょう。
このような思いつきが自然に生まれ 実行する人々がおられることを素晴らしいと思っています。
特別な「におい」をかぐ機会が続きます。
施設の玄関にヤマユリの花が飾ってありました。この花は大変良く香ります。
まだ車が普及していなかったころ よく夜道を歩きました。そのとき道に近い山の方からいい「におい」がして 「あぁ ヤマユリが咲いているなあ」と気づくことが何度かありました。ちょっとロマンチックな思い出です。
次に感じた「におい」はパクチーのにおいです。近所でパクチーを栽培している方がおられ その方のお話を聞きました。江津の特産品に加えようと本気でした。
先日ロサンゼルスでうどん屋さんのチェーン店でうどんを食べたときのことです。その店ではトッピング用に分葱とパクチーが置いてあったのです。
初物に挑戦することが大好きなので 思い切りたくさんトッピングしてみました。
いつか誰かが 「カメムシのにおいがする食材」といわれましたがその通りでした。でも毛嫌いするほどではなく 癖になりそうな予感までする食材でした。
最後にお香の「におい」。
毎朝お参りで香をお供えしますが 書斎でも香を焚きます。さわやかな香のにおいをかいで一日を始めています。
「少しスピードの出しすぎですね」と やんわり注意を受けました。
施設前の市道は 制限時速が40キロなのです。直線で見通しがいいから 気づかないうちに50キロあるいはそれ以上のスピードになっていることなどを指摘されたのです。
そういわれて 「自分はどんな時にスピードメーターを確認しているのだろうか」と振り返ってみました。
高速道路に入ったときや渋滞がない国道などを走るとき あるいは取り締まりが行われる道などを走るときなどが思い浮かびました。
走りなれた地元の道を走るときは ほとんど意識して見ていません。脇道のことや通行人のことも知り尽くしているから と油断しているのです。
常々「諸行無常」といいながら 人はいつも同じところから出て 同じように行動するものと思い込んでいたのです。
運転している自分も 同じような視力や聴力 あるいは注意力であると思い込んでいたのです。
「諸行無常」というお釈迦さまがお説きになった教えは 交通事故防止を考えてのことばではないのですが 仏法は人生のすべてに通じる教えでした。
この時期は雨がよく降ります。雨の恵みには感謝するのですが 草木が勢いを得てはびこることはうれしくないのです。
とくに竹。
見る見るうちに畑や庭におしよせて 周囲の景色を変えてしまいます。
いまの時期 破竹やくろ竹のタケノコがぼこぼこと地面を破り 地上に出るやいなやぐんぐん伸びるのです。
旅行前に裏の庭に出たタケノコをすべて倒しておいたのですが 帰ってみたら一面タケノコの林でした。あわてて倒したのですが それでもまた一週間後には同じ作業をすることになります。
タケノコの根っこが 庭の下を網のように覆っていることがよくわかります。
人間には庭の表面の様子しか見えませんが 見えない地下では 竹をはじめいろいろな草木の根っこがたっぷりと雨水をもらって育っているのです。
どのように棲み分けをしているのか どのような闘争をしているのかわかりませんが おそらく大変なバトルをしながら毎年違った様相を見せてくれるのでしょう。
それを楽しむゆとりがあればいいのですが 我が家が草木に襲われるような恐怖を感じて闘うことになるのです。
地下は根っこ同士のバトル 地上は人間と草木のバトルです。