HOME
»
過疎四苦八苦
»
アーカイブ:2018年

過疎四苦八苦

町が変わるらしい



京都駅の近くにずいぶん広い空き地がありました。

タクシーの運転手さんの話しでは 大学の建設が予定されているそうです。

郊外に出た学校が市内に帰りはじめているのだそうです。

学生の数が減ってきていることが原因だと話してくれました。

田舎の過疎化が始まった時のように 都市の郊外でも過疎化が始まっていることを感じました。

目の前に見えている現実の裏に 見えないところに生じている現実を見ていました。

 

 

歳末の京都を歩きます



甥の結婚式に出席するため 昨日から京都に来ています。

今日の午後から 上賀茂神社で挙式した後 鴨川沿いの「鮒鶴」という料亭で披露宴が予定されています。

午前中の空き時間に ホテルの近くにある京都国際マンガミュージアムに行ってみたいと考えています。

京都という文化都市が マンガという現代の日本文化をどのように取り入れているか とても興味があります。

さらに時間があれば錦市場も見たいのです。外国人観光客が押しかけているらしいので どのような変化がおこったのか見たいのです。

いつの間にか 理由はわかりませんが名所観光の興味は薄れています。

今ごろは時代とともに何がどのように変わるのかといった 変化に興味を持つようになっています。

しっかり変化を見ておきたいと思います。


 

 

健康診断



事業所で 全職員の健康診断が一年に一回行われます。

届けられた結果によると 聴力が低下しているという指摘をいただきました。

とくに治療法はないようなので ライフスタイルに合わせた対処法をこころ掛けています。

重要そうな会話の場面なら 正対して話を聞き 必要な会合や研修会では出来るだけ前の席に座ります。

難聴が話題になるとき ふとある光景が頭に浮かびます。

ほとんど話が聞こえないはずの人が お寺にお参りされお説教を聞いておられる光景です。

聞こえないからといって居眠りされていることはありません。私が「ありがたいお話だなあ」と思うとき その方を見ると 両手を耳の後ろに広げて声を集めようとされている様子を見ることもありました。

そんな姿を見ながら 人間の声は途切れ途切れであっても 仏さまの声はしずかに届いているように思うのです。

私もそんな聴き方が出来るようになるだろうかと 難聴現象から宿題をいただいています。



 

 

排除される体験



この体験は初めてする体験で 「どうなったのだろう?」と一瞬思考の整理が出来ませんでした。

お寺に所属しておられる門徒さんの奥さんが ひと月くらい前にお亡くなりになっていたというお話しを聞きました。

故人は同じ地区の人で 数年前から施設に入居しておられ 日頃はお名前や噂を聞くことはなくなっていたお方でした。ご主人と介護などの相談をするなど深いお付きあいをしたこともあり 近々お見舞に訪問する予定になっていたのです。

初めての体験というのは 読経するという宗教行為をしないで荼毘に付すという出来事が身近で生じたことです。

もちろん親戚の皆さんにも内密にしておられ ご近所の人たちもご存じない様子ですから ご主人おひとりでお決めになり行われたことと思います。

私はいままで お亡くなりになられたら必ずお葬式が行われることを 100%疑うことはありませんでした。

というわけで今回初めて「お坊さんは無用です」と お弔いの場から排除され 考えを整理して表現することが難しい出来事になったのです。

思いを巡らせながら この出来事は宗教やお坊さんを否定することではなく 荼毘の前後の宗教行為を排除されたのだと 思いを整理することにしました。

口にしておられたという「故人には迷惑の掛け通しだったので 最期まで一人で看てやりたい」というご主人の思いの一環とも思い あるいはお寺との関わりが薄く 宗教に対する無知によるものかとも思いますが まだお考えを聞く機会がありません。

いずれにせよ私にとっては お坊さんが排除されるという初体験になりました。 



 

 

本屋さんに行きました



家内に頼まれたものを買いに ショッピングセンターに行きました。

品物を買ったあと ふと同じフロアーにある本屋さんを覗きたくなりました。2度目の入店です。

とくに買いたい本があって入ったわけではないのですが たまたま奈良で話題になっているという無人書店のニュースをその日の朝見たことが刺激になっていたのでしょう。

本の購入は いつもアマゾンでネット購入をしていますが この方法では読みたい本を購入することだけで 本を探す行為はありません。ところが書店に入ると おもしろそうな本を探すという行為から始めることになります。

そう広くない店内を10分ほど歩いて 出入り口付近にあった本に目がとまりました。

お寺のごはん」という精進料理の本でした。パラパラッとめくりながら 料理の紹介には興味はありませんでしたが その帯のコピーと本の中の数行の文字に目がとまり 手元に置きたいと思いました。

「丁寧につくったものをいただくと なぜ 清々しい気持ちになるのでしょう」「料理するのも 食べるのも そこに何の思いも込めることなく ただ漠然と 空腹を満たすために食べるのでは 食材の命を大切にしているとはいえません」というコピーでした。

私が考えているお寺のもてなしに重なる考えで 同じ思いの方がおられたことがうれしくなって購入しました。


 

 

羽織袴でノーベル賞授賞式



ノーベル賞の授賞式の報道を見ていました。本庶先生の受賞をお祝いしたいと思います。

報道を見ながら 先生が和服姿で出席されたことをうれしく思いました。国粋主義という思いで感じたことではなく 個人の意思を大切にした選択であることをうれしく思ったのです。

受賞セレモニーの舞台で ご自分の思い 家族や日本のスタッフへの感謝を和服姿で表現されたように感じうれしかったのです。

漠然と感じていることですが 世の中から個性が薄れつつあるように思います。強烈な個性があるアラブ諸国の服装や食事などの文化にも 変化が出ています。

機能とか能率中心 あるいは損得中心に合理化され画一化されると 社会の隅々で自分のライフスタイルを貫くことが窮屈になります。

本庶先生が和服姿で受賞されたことは 「自分の考えを貫きなさい」というメッセージであったと思ったのです。


 

 

精進料理



あらためて精進料理について考えました。

精進料理という料理はなぜできたのだろうか。どのような決まりがあって それはどのようなときに食べるのだろうかといった疑問が湧いたのです。

というのは 十二月の芋法座に食事を準備して 過疎地で暮らす人々の交流機会を楽しくしようと 家内からうれしい提案があったからです。

それを続けるためには 簡単な料理にしなければ続かないと思ったことや 食堂とは違ってお寺で食事をする楽しみも加えたいと考えたからです。

考えているうちに 精進料理という料理は 修行しているお坊さんの毎日の食事のことだと気づきました。

現在では お寺の行事で振舞われる食事や宿坊に泊まったときに出される食事を精進料理と呼んでいますが元々はそうではありませんでした。

身近な食材や調味料を使ったシンプルな料理。修行を妨げないために精がつく食材を避け バランスを考えた食材を使用した料理。

そして食事の作法も修行として考えられていたのです。

そこまで考え その意味を時代と地域に合わせて読み替え お寺ならではのおもてなしにしようと思います。 


 

 

吹きだまりの科学



昨日は朝から 玄関先の落葉掃きをして下さる方がありました。私も気づくたびに掃いているのですが これは連日の仕事です。

強い風が吹くようになって 木々に残っている葉っぱや散っていた枯れ葉が 風の吹くままにそこらじゅうを飛び回ります。

玄関先に飛んできた枯れ葉を掃き寄せるのですが 当分は続きそうです。

掃きながら見ていると 数カ所に大きな枯れ葉の山が出来ています。

風がその場所に向かって枯れ葉を集めているのですが すべての枯れ葉を寄せているのではありません。集まりやすい場所にたくさん 集めにくいところには小さな山をつくっています。

どのような決まりで風が舞ったのか 枯れ葉の山を見ながら科学していました。


 

 

仏典ー私釈



毎日聖典を読みます。
そしてお参りのときは その中に書かれていることを話しています。

そのとき 文字の意味の解説を中心にしていた時期がありましたが いまはそのような話し方は減っています。

意図的にそうしたわけではありませんが 私が受け取った内容をことばにして話すようになっています。聖典の文字やことばを 生活のことばで受け取って話しているのです。

たとえば 浄土真宗で大切にされている『正信偈』には 冒頭に「帰命」と「南無」という文字が書かれています。その文字を 日常で使っている「リスペクト」といって話します。

話す人をリスペクトしなければ 聞いても身につきません。家庭内で「あの先生はダメ先生だ」と親が話している先生のお話を 子どもがどのように聞くのか想像したらわかります。

聖典を書いて下さった人をリスペクトして読めば わずかながらでも自分に伝わりす。それはとても楽しいのです。

仏典を自分のレベルに合わせて読むことには問題もあるでしょうが 表面的な解説より 生活の中で受け取ったことばを話すことが伝わり易いと思っているのです。



 

 

火事の後始末



全焼した家の近くに行く機会があって 数ヶ月ぶりに焼け跡を見ました。

鎮火した後の状態と変わらず 焼け残った柱や基礎のブロック 洗濯機とか冷蔵庫などが放置されていました。

立ち入りを禁じるように 焼けた立木に結んでロープがわたしてありましたが 足もとには炭や焼け残りのものが散乱しており足を踏み入れることは出来ない状態でした。

町中での火災跡ならいち早く片付けが進むのでしょうが 過疎地の山の中ですから どこからも苦情が出る心配はなさそうです。

片付けには経費はかかるので 所有者がその気にならなければ当分は放置され やがては夏草などに覆われてしまうことだろうと想像しました。

この地に家を建て さらにそれを大きく建て替えて暮らした年月は この地を舞台にした喜怒哀楽の小さな出来事に思えてきました。