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過疎四苦八苦
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アーカイブ:2018年

過疎四苦八苦

昆虫が多い秋です


今年は蜘蛛が多いように感じます。出歩いた先のあちらこちらで 蜘蛛の巣が顔や頭にかかるので そう思っているのです。

軒下に架けた巣は顔にかかることはありませんが 二重三重に架けられていて 掃除を怠っていることを目立たせてくれます。

またカマキリがお産場所を探している様子も見かけます。あるいは 誰かに踏まれて死んでいるカマキリも多く見かけます。

さらに巣作りをするスズメバチにも 2箇所で出会いました。今日お寺で喚鐘を打とうと見上げたら 一匹の黒スズメバチが飛んできて軒下の巣に入りました。まだ10センチくらいな小さな巣ですが みるみるうちに大きくなるだろうと思います。

蝉 蟻 蚊 蝿といった真夏の昆虫は非常に少なかったのですが 秋の昆虫を多く見かけます。異常高温や台風の多発と同じように これもいろいろな出来事と関係した自然界の現象と受け止めています。

さて夏 秋という季節の次は冬ですが どんな冬がやって来るのか。大きな被害がなければ 異常現象も楽しみです。

 

 

困ったなあ 私が汚したのではない


お参り先のお家でトイレをお借りすることがときどきあります。

先日もお借りすることになって 男性用のトイレを教えていただき入りました。

すると先客のどなたかが汚しておられたのです。便器の左下の 薄いブルーのタイルが濡れていたのです。

どなたかの失敗だったのだろうと想像した直後に 「困ったな 私が疑われてしまう」と思ったのです。

拭いて掃除をするような道具も時間もないので そのまま用を足して出ました。

お家の人に「汚れてましたよ」と伝えるのは いかにも自分が汚したのではないと弁解がましくなるので何もいわずに席に戻りました。

途中で 自分に濡れ衣がかからなければと 自己防衛をしている心が見えました。

お客さまに中には 高齢になられたお方や 少しからだが不自由になられたお方もおられたのですが 一番最後に使ったのは私です。

後に入った人がどう判断されるのか それはおまかせすることにして 自分の失敗はしないように心掛けようと思いました。また失敗したことには 気づきたいと思いました。

 

 

日本は木炭を輸入する国だった



秋刀魚焼きのあと たくさんな消し炭をバケツに入れている職員さんを見かけました。

特製コンロの消し炭を片付けながら 「この消し炭では芋が焼けないのですよ」と職員さんが話し出しました。

その理由は 火力が弱いことと燃え尽きる時間が短いのではないかというのです。私の記憶の中には 消し炭で芋は十分焼けていたはずなのですが。

すると「やっぱり輸入品はダメなんですかねえ」と別の職員さんの声がありました。思いがけない声を聞いて 「この炭は輸入品なの?」と質問したら 「インドネシア産のマングローブの木炭ですよ」と教えてくれました。木炭といえばクヌギの木を焼いたものという先入観があったのですが 無知でした。

石油は中東からの輸入品で 木炭は東南アジアからの輸入品。身近にある日本のエネルギーは 気づかないうちに国際化が進んでいたのです。

やがて人材も外国に頼らなければならない国になり始めていますので 日本という国のアイデンティティーはなくなってしまうのではないかと ふと思いました。

 

 

贈りもの文化



「ハローウインのものですが」といって紙袋にいれたお土産をいただきました。人間関係をつくる贈りものとして ありがたくいただいたあとで考えたことです。

「贈りもの文化」ということばあるのかどうかわかりませんが アメリカ人の贈りもの好きは「贈りもの文化」といってもいいと思っています。

現地のギフトショップに行けば ラッピング用の可愛い品物が豊富にありますし ギフトカードの種類も実に豊富です。ホームパーテイが盛んで そのスタイルにも工夫をするお国柄と感じていました。

日本には昔から 「お裾分けです」とか「たくさん採れましたので」 といってご近所に品物を配る習慣はありましたが、積極的に人間関係をつくるような文化ではなかったと思います。

しいていえば引っ越しのご挨拶に「引っ越し蕎麦」を配ったような一回限りの贈りもの習慣が 人間関係をつくる文化といえそうです。それ以外に積極的に交友を深める贈りものは知りません。

アメリカのような多国籍の人々が暮らすお国柄だから発達した文化と考えたら腑に落ちますが 少数民族の国である日本で そのスタイルだけを真似しても文化としては育たないと考えます。

過疎高齢化によって 近隣にくらす人が急速に減りました。このような地域では 「お隣さん」の面積を広くし「お裾分け」の解釈も変えて 交友回数を頻繁にする新しい文化を創らなければならない時代になっているようです。

 

 

今年は松茸が豊作といわれています




耳にした話では 今年は松茸が豊作だそうです。

先日その松茸をいただく機会があり もてなししてくださった家の人が 仕出し屋さんから聞いたと話しておられました。

そういえば ここ何年間か口にすることがなかったので 久しぶりに食感と香りを楽しみました。


いつの頃からか 松茸は「高嶺の花」とか「高級料理」とかいわれ それを食べることが自慢になったりする時代が続きましたが 今はそんな気分が薄らいでいるように思えます。
 
お店に並べられているところを通っても たまに足を止めて 値段を一瞥するときはあっても 食べたいと思う気持ちはおきないように思います。

「あっ 松茸がある」と 隣に座っている家内の小さな歓声を聞いて前を見たら コンロに乗った小さな陶製の鍋があり その中に割いた松茸が並べられていました。

めったに食べられない希少価値の食べ物をいただく作法のつもりで ゆっくり噛みしめていただきました。


  

 

秋刀魚を焼いていただきました



きのうはあいにくの雨でしたが 予定していた秋刀魚焼きの行事をしました。

ボランティアのみなさんにお手伝いして 200匹の秋刀魚を炭火で焼いていただきました。

周囲に煙と匂いをまき散らしながらの作業でしたが 美味しく焼いていただきました。

おにぎりと豚汁もついたお昼ご飯をいただきながら 一緒に食べていた高齢者に「秋刀魚を食べるのは 今年何度目ですか」とおたずねしたら「初めてです」という方ばかりでした。

市場に出かけることも 炭火で焼くことも困難になったのか あるいは面倒な準備が出来にくくなられたのでしょうか。

旬のものを食べることを 大変よろこんでおられました。


 

 

本物と真似ものの差


ペンギンが散歩している姿はいつ見てもかわいいものです。

そのペンギンの姿で つぶれかけた旭山動物園が人気動物園によみがえった有名な話があります。「空飛ぶペンギン」というタイトルで紹介されていますからご存知の方は多かろうと思います。

陸上ではかわいらしい所作で人気者の動物ですが いったん水中に入るとその動きは躍動感あふれるもので 逃げ惑う餌を必ず捉えるスピードがあります。

旭山動物園では その特性を残らず発揮させたいと 水槽づくりと展示方法の話し合いは 生態をもっとも熟知している獣医さんや飼育係が中心になって行われたといいます。

その水槽で見ることが出来るペンギンのパーフォーマンスは 美しく 見る人々は必ず感動されるのです。

ところが同じようにペンギンの水槽をつくっても 圧倒的な迫力とかおもしろさに欠ける動物園もあるようです。

その差は どれだけ注意深くペンギンを観察し 生態を知っているかということの差だと思います。さらにいえばペンギンに対する姿勢で 本能を十分に発揮できるようにしてやりたいと思う愛情の深さの違いだと思ったのです。

姿形をまねることは誰でも出来ますが 思いの深さまでは なかなか真似することはできません。


 

 

カチ栗



カチ栗を作りました。

台風25号が来るという予報で お寺へのお参りがキャンセルになってゆとりの時間をもらいました。

台風の被害はありませんでしたが 強めの風雨によって栗やドングリがいっぱい落ちてきました。

いただいた時間と里山の恵をカチ栗にして 中旬に予定している京都の集まりのお土産にすることを思いつきました。

我が家のカチ栗の作り方は ゆがいた栗に糸を通して軒に吊るすという 簡単な作り方です。

作り方は単純ですが 時間がかかるので家内と二人で夜なべをして作りました。出来上がって数えてみたら372個ありました。

カチ栗は非常食と聞いていましたが 昔のおやつでもありました。

固くなった実を口に入れ しばらくしてやわらかくなったのを食べるのですが 素朴な甘さと口の中の感触を楽しんでいたものです。

美味しいおやつを手軽に買える今日では 振り向かれないものだと思いますが 田舎を出て都会で暮らしておられる人々がどのように思われるのか 楽しみです。


 

 

お寺は非日常体験をするところ



お寺に来て下さる方から 「お寺で過ごす時間は 非日常体験の時間です」といわれました。

そういわれたお方は 関東で事業を営んでいる経営者で 毎月のようにお寺に来られます。

目的は その会社の幹部方の研修といわれているのですが 私には事業のことについて指導するものはありません。半日から一日の間 人生についてお話しして みなさんとお話し合いをするだけです。

人生についてお話しするのですが その内容は仏法から教わる人生の俯瞰とか自分を内観することが中心です。地獄の絵を見たり 茶室で抹茶をいただいたりしながら 自分の生き方にも気づいてもらいます。

そんな数時間が非日常の体験だといわれたのだと解釈していますが 自分の日常を見直すために有意義なこととして評価していただいたのかも知れません。

自分が行っている姿は自分では気づきにくいものですから このような声をお聞かせいただくことはとてもありがたいことです。

お寺はどのように世間に向き合っていけばいいかと考えていますので この一言は響きました。

聴こうとしているかぎり大切なことは聞こえないことも事実ですが 聴こうとしないかぎり聞こえないことも事実です。非日常体験という体験のことを もっと考えたいと思います。

 

 

初ものをいただきました


さっそく里山から届いた秋の贈りもので 栗ご飯を炊きました。

栗の鬼皮は専用の皮むきハサミで 簡単にむけましたが 渋皮には手こずりました。

二合分の栗をむくのに 40分くらい栗と格闘したように思います。出刃を使う右の肩がだるくなるので ときどき肩を休めながら皮むきに集中しました。

隣で夕ご飯の支度をする家内に励まされたり ねぎらわれながら苦労した栗ご飯の美味しさは格別でした。

皮をむきながら 今でも「里の秋」という童謡は歌われているだろうかと ふと思いました。「しずかなしずかな里の秋 お背戸に木の実の落ちる夜は・・・・」という歌です。

歌われている木の実とは たぶん栗だろうと思いますが 家のそばに栗の木がある家など 今では山奥に行かないとありません。

そう思うとこの歌の情景が頭に浮かぶ人は少なく 歌はなくなっていくと思われます。

栗めしは 微妙な塩加減が鍵ですが 今年の初ものは絶品の栗めしでした。

「栗めしに 酒が合うとは 思わずや」。昔詠んだ一句です。